ひゅるりらの呪い

桜が咲くこの時期になると何とも言えない気持ちになったあの瞬間のことを思い出す。

 

高校生だった当時ケツメイシの「さくら」がすごく流行った年があった。なんで流行ったのかは忘れたけどえみちぃが映るPVも何度となく目にした。

高校最後のその年、文化祭ではクラスごとにお店をやるという決まりがあり、お揃いのTシャツを作ったり遅くまで準備をしたり…それはそれはわたしの大の苦手とする時間だった(思い出しても辛い)

複数人で大盛り上がり…みたいなのが全然乗り切れないので粛々と真面目に準備をする日々。与えられた仕事はこなし、周りに迷惑をかけず誰か一人が負担をする事ないようにと過ごす事に徹していた。さっさとクラスの準備を仕上げて部活の展示に集中したかった。

そんなやるべきことをこなす淡々ムーヴが担任の目に留まり、なぜかクラス責任者になったオーマイガ。

ただ、別に人前に出るわけでも何かを発表するわけでもみんなに大声で言って聞かすわけでもなく、然るべきところに然るべき報告をする!という役割だったので別にいいかと思って引き受けた。引き受けたというか「わたしはちょっと…」「いやあなたなら大丈夫だって!」みたいなワンクッションが苦手なのだ。やってみろと推してもらったものに対して「私なんか」とモジモジするの本当に時間勿体ない!そんなのは誰も見てない!モジモジする時間あるならさっさと仕事をしろ!と思ってしまうのでそういう時はサクッと引き受けてしまうのだ。

(引き受けなければ良かったと大後悔するが)

 

当日は盛り上げお調子担当の面々によるノリでお店はそれなりにうまくいったのだと思う…部室にこもってて特に覚えていない。キャッキャしたノリが怖いのだから準備はする分当日は避けさせてくれよと懇願したのは覚えている。

そうして時間が過ぎ、あとは家に帰って猫撫でてぇなあ。お母さんとお父さんに部活の展示物の詳細を話してぇなあ。と考えながら閉会(閉会って言うんだっけ?)式の時間となり体育館に集合…そこで急に全クラスのクラス責任者が呼び出されたステージの上に登壇させられたのだ…。聞いてないと猛抗議したかったがここも例のモジモジムーヴかましたくなかったので(用が終わったら即帰るからな)の顔してサッサと上がる。

 

そこで始まったのが…なんと…ケツメイシの「さくら」をみんなで大合唱する!!というサプライズプログラムだったのだ。

 

は?え?何のサプライズ?誰に向けてのサプライズ?というかあれを合唱するのむずくね?ラップなんだが…。

という脳内ハテナが消えぬ私をよそにみんな大盛り上がり。そりゃそうだ。ステージに上がってる人は「文化祭という祭が大好きです」というタイプなのだから(ここで本当に責任者を引き受けた事を大後悔する。)

 

まあ…いい、サッサとやろうぜ、さくらの合唱をさ…と口パク覚悟していたところ…なんと!さらに!!!

ステージ上の人たちはマイクを回しながら歌う事になってしまったのだ。悪ノリやめてくれマジで。今すぐ俺を殴って気絶させてくれ。という気持ちのまま曲は始まってしまう。スクリーンにかろうじて歌詞が表示されるけどもう一度言う。あれは合唱できんくね!?ラップの部分回ってきたらどうすんの!?

 

おそらくそこが歌えなくてグダるみたいなのが面白ポイントだったのかも知らないけど人前で歌うの死活問題である私にとっては吐きそうな時間。本当にマイクがやってくるまで500時間くらいに感じた…。

しかしそこはお調子者たちがノリノリでラップ部分を制覇してくれて大満足…!が!じゃあ私に回ってくるのはどの部分…??

 

さくらの歌詞には歌詞とも言えない間奏部分があり、そこはずっと「ひゅるりら」と口ずさむのだが…

そう、それ!私に回ってきたのはそれ!!ノリも顔色も悪い私が淡々と呟く「ヒュルリーラ」×数回。罰ゲーム過ぎるんだろ…と半泣きになりつつここでもモジモジしたくないムーヴで乗り切る。流れるように隣にマイクをぶん投げ事なきを得たと思ったのも束の間、意外と長い曲であったが為マイク2周目突入。そしてあろう事かまたしてもわたしの番は「ひゅるりら」

なんなん…寒太郎か…?北風小僧の寒太郎なのか?私は?なんでこんな無心で「ひゅるりら」言い続けんといけんのや…?

つら…はよ終われ…

と思いつつ人に迷惑かけたくない一心で耐え抜いた私を今思い出しても抱きしめてあげたい…うう。

その後の事は覚えていないし、誰かに何か言われたわけでも無いけどあの瞬間わたしは1人寒太郎だった。ちょっとアレンジ効いた寒太郎だった…。みんなはさくらを歌っていたが私は北風だった…。

今でも思い出すひゅるりらの呪い。

優しくない。

手話サークルに行ってる。と言っても数えてまだ片手程度だけど。数年前から手話に興味があって、でもサークル的なところを見つけては「毎週○曜日の○時~」を見ては必ず決まった時間に動けない身として勝手に(ほんと勝手に)諦めていた。

そんな中、1回だけの体験教室を見つけて迷わず応募。仕事終わりに参加してみたのが去年の11月だった。面白かった。もともと知らない世界を知るという感覚が好きで言語や人とのコミュニケーションにもすごく興味がある為「自分にとって新しい言語を知る」という組み合わせはそりゃ好きだわなと今納得している。

その後通常のサークル会場にも顔を出したが、どこの誰で普段何をしてなんでここに来ているの、とかいうどうでも良い情報を一切聞かれなかった事や、毎週行かなければいけないわけではなく来れる時に来たら良いよというスタンスもすごく馴染みやすく行くことにした。

その空間は心地よい。年齢性別関係なくただただ言語を知りたい喋りたいという人達が集まっていて知識を得ようとする人々独特の学びに熱心な空気を久しぶりに感じている。面白い!が全面に出ている空間というのだろうか。

ただ、人に手話を習い始めたと話すとなんだかしっくりこない事が何度かあってそれに関してずっと考えていた。「すごいね」「えらいね」「優しいね」と言われることが少なくなかった。なんかさ、なんだろうな…。

 

例えばこれが「フランス語」学び始めた!って言ったら反応は優しいねになるのだろうか。すごいねはあるのかもしれないけどえらいねとは言われるだろうか。

単純にその言語圏の人達とコミュニケーションを取りたいだけなのになんとなく「寄り添っている姿勢が優しい」みたいに解釈されるのが腑に落ちなくて。そこでもう寄り添う側と添われる側として無意識に分けてる気がする。どっちがどうとかない。違う言語を使う集団は違う文化を持つコミュニティであるしそこの理解を深める為にはどちらも対等である上でお互いに習得していくもなんじゃないのかな。

本当に優しい人はもっと別の所にいる。表現できない言い表しを「優しい」で片付けるなよ、と心の中で反抗したりする。少なくとも田舎ではまだまだ「外国」の話なのだ。手話は遠い外国の言語。英語圏よりもっともっと遠い。同じ国なのに。もしかしたらお隣さんかもしれないのに。逆を言えばそれほど別世界に思えるくらい分けられて生活してきたんだなと思う。

英語は小学生の頃から、第二外国語は大学に入ってから自然と現れるしテレビやラジオやメディアで自然に入ってくる情報である。ただ私の感覚としては「手話」はこちらから求めに行かなければその世界に触れることすら無く人生終わる可能性だってある。

それってすごく勿体ない気がしないかと思ったのだ。新しい言語がパスポート無しで見聞き出来るのに、自分の知らない世界がすぐそこにあるのに知らずに終わるってなんと寂しいことか。そう思って今現在過ごしている。

分からない。この気持ちが今後変化してくるのかもしれないけど今はただ知らない言語を知る機会に出会えて、自ら出会いに行って良かったなと思っている。

私は誰かの為の優しい人なんかじゃない。全然優しくない。自分の世界が自分の納得するまで広がっていくことが楽しくてただ自分の興味に従っているだけだ。こんなのを優しいとか言うなよ。ただ、知っていくことで新たな世界が見えたとき、結果としてそれが誰かの生きやすさに繋がるのならそれは勝手だよね。

興味を持って行動するときは必ずセットで敬意も持つこと。それだけは忘れずに知りたいことどんどん知って生きたい。ただそれだけ。

 

 

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ニュースがしんどい。

正確に言えばニュースも、それに対するリアクションもしんどい。みんなそれぞれに自分の中の「正しい」があると思う。それは別に構わないし、私の中にも他人と自分の「正しい」が大きく離れているなあと思う何かがあればモヤモヤする。だけどそういうもんだと放っておく。というか放っておくしか無いじゃん。

 

とある人の考えや行動を目にしても「まあそういう感覚もあるよね」「別に間違いでは無いよね」とするゆるやかな許容範囲が無くなっている気がして苦しいのだ。「こうすべきなのに」「〇〇しないのは常識が無い」とかニュースで報道されたものの内容に対してのコメントはみんな自分の正解、ただしくは世間がそれを100点だとするであろう答えを自分も唱える事で正義の高揚感に浸っている気がしてザワザワする。

思うのは自由だけどそれ言う必要なくね?とめちゃくちゃ思うしストレスなのでリアクションは見ない事にしてる。嫌でも目に入ってくる世の中だけど。

正しいを押し付ける事にこだわってる人たちはそのパワーどこから沸いてるんだろうか。出ては消える何百という日々のニュースに全力で反応して疲れないのかなあ。これは勝手なイメージでなんの根拠も無いのだけど、自分が抱える【うまくいかないこと】に対して「何かに執着することで紛らわす」という行為を取っているのかなあとも思う。

大きな波が渦巻いてるから何も考えずにその波に乗って果たしてそれが本当に悪なのか1人で考えることもせず「絶対にこうだ」と確信できる力はもはや尊敬すら覚える。

私もどこかで何かそういうものを持っているのかもしれない。自分は大丈夫とか思いたく無い。できれば全世界に広がるそういう他人の話(ニュースはだいたい他人の話)に向かうパワーを全部自分や大切な人たちや大事な空間に使いたいよ。

年末になったらもっとザワザワするんだろうか。

 

ちゃんと絶望してる

今日も今日とて終わらないワーク。今の時期地獄のように忙しくて…しかしこれが地獄なのだとしたら私はそちらに落ちてもうまく生活できるかもしれんな、と変な方向に思考を向かわせて現実逃避をしている。

できないことが多いな、私には無理だな、とビックリする。大人になれば当然出来るものだと信じていたことが全く出来ないまま今に至る。「出来て当然」は何も無いと知りきちんと絶望している。

きちんとっていうのは大げさに捉えず、かといって軽んじることもなくそれそのままを目の前にし「うん、ちゃんとダメだな私は」と頷いている感じ。

母の所属する場所に訪れる機会があり「○○の娘です」とおそるおそる挨拶をした。不慣れなところで「関係者である」的な挨拶をするのが苦手なのは決まり文句みたいな声かけが嫌だからだ。「○○さんに似てかわいいわね~」的な容姿を褒める言葉も「△△なお仕事だなんてすごいわ」的なポジションをつつかれるのもぞわぞわするからだ。自分をよく知らない人から褒められても買ってきた料理出して絶賛されている気分になるのだ。自分じゃないところの何かを褒められているみたいなむずがゆさ。

ただ、この日は違った。母を知る人達からは「いつもお母さんが貴方のことを良く褒めてるのよ~」だった。その場にいない身内のことの褒め話を他人に聞かすの推し愛が強すぎるだろうよ。

きちんと絶望する私を過剰に褒め称える存在がいるという事の面白さ(ありがたさ)。本人が絶望と向き合っているのに、そんなことは置いておいて全肯定されている事を知り笑いが出た。

ああ、そうか。全肯定される場所があるから私は自分の絶望ときちんと向き合えるわけだな。これからもちゃんと絶望しよ。出会う誰かをしっかり肯定できるよう、この感覚の絶妙なバランスを忘れないでいたい。

2023.08.07

大学時代から親しくしていた友人とこの春からパタリと連絡が取れなくなった。仕事の形跡はあるので生活は続いているのだろう。

誰かに紹介する際はお互いの事を家族として話しており、彼女に会う時に恥ずかしくない自分でいたいと思いつつ生活をするような存在である。

連絡が途切れたと言っても元々頻繁に連絡をする習慣が私には無く、彼女の誕生日、一緒に行きたいイベント、が続いたので都度テキストを送ったのだが返答は無かった。そういえば年末に新居の住所を尋ねた時も返ってこなかったわ。

こういう事は頻繁には起こらなくとも人生で何度かあるシーンで、私はただ「そういう時期なんだな」と思う。

人付き合いって相互の距離感や感覚や思考が奇跡的に合ってこそうまくいくものであって、いくら親しみが生まれた相手でも「絶対」という関係性は成り立たない。それは別に悪い事ではない。

もしかしたら私の自覚が無いだけで彼女を傷つけたのかもしれない。もしくは彼女の中で私との感覚の違いを覚えたのかもしれない。

今自分が置かれている環境に不安があると周りとの関係性にまで気を回せなかったりする事もある。

とにかく答えは分からないし、出さなくても良いと思っている。人の感覚は動くし変化するしまた戻ったりもする。

わたしは人生の中でわずかな期間でも彼女と関わり、影響を与え合えた事実が大切であるしだからといってそこにしがみつく必要も無いとも思う。

こういう時に私の人付き合いの全てが現れているよなーと思うのだけど、私が私として穏やかに過ごせている上に健やかな人間関係は成り立つものであるからまずは自分の環境整備…なんだよな。

関わる人、大切に思う人が居ることは嬉しいし本当にその人の事は大好きなんだけどそこに依存性とか「なんで!?」「どうして!?」はあまり生まれなくて。

お互い別々の川みたいなもんで。時々合流し混ざり合ってまた離れて、お互いの水をちょっと入れ替えたりして,そして離れたとしても川は川として立派に流れる。

関わりは突然生まれるし享受された気持ちや考えは大切に私の中で私として生きる。

 

一年後くらいにまた連絡してみよう。お互い元気で過ごしているならそれで良い。穏やかな川であり続けよう。

久しぶりに

もう全然触っていなかったブログを久しぶりに開いた。

何の理由があってとかではないけれど、段々と投稿しなくなりそのうちフェードアウトしていくものかなと思っていたけど今ここにいる。

数年前の投稿を遡って読み返してみても「ずっと同じ事言ってんな」である。

私だけじゃ無くて人はきっとずっと同じような事で思考を巡らせるのでは...と思う。何歳になったから達観できる、なんてことは無くその時その歳の自分の変化やまわりの環境に応じて無限に悩みは沸いてくるんだろうな。

つい最近たっけー美容液を買った。たっけーけどそれなりに、というかめちゃくちゃ良かった。接客に忙しそうな美容部員のお姉さんが(でも本当に良い人感がにじみ出ていて好き)美容液を購入した私の商品を詰めながら「あまりご案内できなくてごめんなさいね!あ!!これ、新商品のサンプル!とっても良いクリームなんです。コルセットみたいなクリーム!」とおもむろにサンプルをガシと数個掴んで私の紙袋に入れて笑った。

クリームに対する表現にコルセットは強すぎるだろう。

36歳になったことを知った人からは「もうアラフォーじゃん」「やばいね」など割とネガティブな反応をされることが多くなったが全てに対して「イェーイ」とWピースで返している。人はみんな歳を取る。当たり前にできない事が増えていくなんて最初から分かっているだろうに予測してなお自分の人生を楽しめないの単純にダサいよなと思う。

いつだってご機嫌な人でいたい、というのが私の目標であるのだけどそれは別に大騒ぎお祭り野郎でいたいという話ではない。自分が好きな空間を知り、穏やかな時間を過ごす術を持ち、フラットな状態がにこやかなご機嫌ばあさんになる事が目標なのだ。そこには多分「アラなんちゃら」は関係なく、どんな歳でも生まれるであろう答えの見つからないモヤモヤした悩みたちと如何に向き合い自分の変化を面白おかしく見つめられるか、が大切だと思うんだけどな。

ずっと同じ事言ってんな、だけど捉え方はより寛容に柔軟に楽しくなっているはずだ。大人になるということは一人で何でもできる事を指すのでは無く、依存先が増え選択肢が増えどんな時でも「ご機嫌でいられる」ことだと思う。

きっとみんなその為にたっけー美容液を買うのだろう。コルセットのクリームを仕込むのだろう。ご機嫌でいるために世間の技術に頼るのだ。たくさんの人の知恵とパワーを拝借して時々完全に寄っかかったりもしつつ進むんだもん。もちろん私が知恵やパワーを知らぬ間に差し出している側になっていることも忘れたくない。

卑下しないし拡大もしない。にこやかに過ごしつつ「今日もいっぱい悩みあってしんどー」と思うのだ。

 

2022.5.24

空と海って繋がっているんだな。

 34年間何度も各地で感じていたし、別に忘れていたわけではないけど改めて目の前に広がるそれを見ると「すごいなあ」しか言葉が出なくて表現力の乏しさを感じる。けれど、そんなことはどうでも良いくらい今ここに立ててよかったわと白いタイルの反射に目をやられつつ日陰に逃げた。サングラス持ってくれば良かったな。

そもそも私は今日ここに来る予定ではなかった。本来なら今頃古着屋開拓をしてTシャツディグに明け暮れているところだったのだけど…。朝一番に友人の急な仕事が入り、予定は流れた。それならば滞在していた場所からバス一本で来られる距離にあるここに行こうと寝起きの頭でぼんやり思ったのだ。

 ずっと来たかった。ただ、自宅スタートで考えるといくつもの乗り換えがありタイミングを逃していた。何かのついでになんて想いで来れるものでは無いと感じていたし、いざ計画を立てたら流行のあれで見送りに。そろそろ落ち着いたかなと思っていたらメインのリニューアルなんかで見たい場所がお休みに。無理矢理こじつけて行くのも違う気がしていたし、行ける時はスッと現れるだろうと思っていた。そんな時にこの流れ。

 フットワークはかなり軽い方だと思っていたけど年々人に対する苦手意識が強くなり、たくさんの音がする場所や人が集まるところは避けていた。ああ、走り出す感情のままに行けなくなってきたのかな、なんて思っていたけど違った。自分の思うところへはいつだってこうやって来られるのだ。私が苦手だと思う場所は増えたけど、そこは別に行きたい場所ではないのだから。きっと死ぬまで思うところには行けるんだなと気がついて嬉しくなった。

 建築物が好きなのはいつからだったろう。記憶にあるのは小学生の頃見たテレビ番組だ。確かビートたけしが案内人で色彩に関する特別番組だった気がする。なんか映画ドールズの色彩に関してやってたし。その辺はあまり覚えていない。秋のシーンで紅葉に溢れている中、男女の衣装が被せるように真っ赤でその説明なんかをしてたっけ。菅野美穂かわいい~とは思った。その番組でスペインだったかの建築を特集していたのだ。建物がド派手なピンクや黄色で「こちらには四季が無くほぼ一年中緑が生い茂っているため常にこのコントラストが楽しめるのです」とナレーションが説明していたのを覚えている。確かにそのド派手な石壁にはどっさり緑のツタが広がっていてそれがなんとも美しかった。

建築は確かに人が手がけた人工物であるのに、ましてやこんなに派手な色を使っているのにここまで自然に溶け込むってどういう魔法かしら・・・と思った。その時はそれがどういう魅力であるのかうまく説明出来なかったけど、多分私は【どこか人間が関わっている自然】にすごく惹かれるのだと思った。自然は美しいけれど恐ろしいという思いもずっと持っていて、そこに人間の鱗片を感じると安心するのだ。ああ、ここでは自然と共存できるんだなと。開拓し町ができていく姿ではなく、昔からある田舎の風景とも違って一見不自然なまでの大きな人工物が自然の中に溶け込む静かな空間に感動する。それの代表が各地にある美術館であることが多く、中でも安藤忠雄の作品がそうだった。

人工物の代表であるコンクリートが静かに自然の中にでーんと存在しているのは想像するとかなり違和感だ。ただそこに行くと静かであたたかい。決して怖くは無い。コンクリートの階段に立ち見渡す限りの海と空、どこが境目か分からない姿を眺めては妙なバランスを保つことで生まれる親和性を感じたりする。異なるものを排除するでも破棄するでも無い。ただそこに各々が存在する。私もどこにもいけない馴染めないと感じたところで、とある場所では妙なバランスが生まれたりするんだからな。不思議なもんだよ。

自分になんでも置き換えて考えるのはよくない事なのかもしれないけれど、どうしたってそう感じてしまうのだ。彼の作品の現場では特に。

 ふと横で庭園作業をしている女性三人組が目に入った。誰の息子が帰省するだの、あそこのお店はあれが安いだの、今日の気温は耐えられないなんて話をしながらこうやっていつも作業をしているんだろうなと分かるような姿で。庭園について尋ねても「あっちに何かあるらしいよ」みたいなまるで興味の無い様子で、しかしにこやかに答えてくれるのだった。そうこうしていたら散水作業に入るのか遠くから「全開にするよ~」の声。私の興味は半分も伝わっていないだろう人のよさげなおばちゃんは慌てて「あ!!あかんあかん!全開はあかん!」と叫ぶのだった。おそらくこの後水浸しになることが予想でき、私との会話どころではなくなったおばちゃんは急いで遠くの全開発言者に向かって走って行った。

笑っちゃったな。私が生きるとか自然とか違和感とか親和性なんかを自分なりに咀嚼して落としこんでいるこの空間は彼女たちにとっては日常なのである。ただ仕事として向き合う生活の場なのである。勝手にやって来て勝手に妙な感動を飽和させている自分が少し恥ずかしくなった。忠雄の計算された空間の中で勝手に感動しているだけである。捉え方は人それぞれであるけれど作品とは作られた時間を味わうもので、当たり前だけどそこにある全て(働く人も散歩する動物も近所の学生も)が私と同じ感動を覚えるわけでは無い。ただそう思うとふっと力が抜けるのも事実。大きな何かを絶対感じ取ってそこから学びを必ず得なければいけないなんて事は無いんだよな。この空間はどこまでが作品でどこからが自然であるのか分からない。流れる時間も海も空も自然だとするのならそこに存在し一緒に時間が流れている建築ももはや自然なのかも知れない。分からないことばかりという事が分かるだけで良かったりするのかもなと。

 ここに来て良かった。自分の心がまだ止まらずにいられることが分かった。ただ理由を求めず理由などなくても惹かれるものがたくさんあると知れたのが嬉しかった。マスコットらしきタコのぬいぐるみを買って帰る。お腹を押すとピーッと鳴った。