美味しいは正義。

 

嫌なことがあった。他人の理不尽な暴言と蔑む態度を目の当たりにした。仕事である立場と個人の苦しみに対してヒリヒリとした心を抱えたまま、これをどう自分の中で落とし込むか考えて半日ぐぐぐと苦しんだ。

 

いつも通りの仕事をしっかりこなし、お昼はみんなで食卓を囲んだ。今日は職場のみんなでご飯を作って食べる日だったから。

今朝のニュースを話す傍ら「ごはん、やっぱり水が多すぎたね。」とやわやわな筍ご飯のつつきながら「でも出汁は効いてるし、良い味だよ」とお代わりを差し出す同期。後輩は「俺筍とか食べないんすよね。なんかしわしわする!」と突くだけで箸が進まない筍の煮物を見つめながらぶつぶつ言う。

「この味が分からないのはまだまだお子ちゃま」「イヤ、味覚が老化してるんですよ、それは」なんて悪態つきつつみんな笑ってご飯を食べる。

 

それを眺めていた別の上司がにこにこしながら「なんでもみんなで食べれば美味しいなあ」とふんわり発した。誰も言わなかったけどみんな、うん、そうだなという顔をして目の前に並ぶ今年初の筍を食べた。おいしかった。

 

美味しいは正義だ。ごちそうでなくとも、おいしいはしっかりとそこにある。食卓は日々を反映し、また日々を回復させる。職場でもさほどしゃべらない私はただひたすらに筍うめえなあ~。よくこれを最初に食べようと思ったよな~昔の人は。と初代筍調理人(そんな人がいるのかは不明だけどきっと居る)に脳内で感謝しながら咀嚼→幸せの無限ループを体感していた。

たわいのない会話、穏やかな表情、テレビじゃない人の声が響く空間、それも全部咀嚼→幸せの中に組み込まれ「ああ、これが美味しいは正義なんだよな」と自分で改めて感じつつ。

 

自分の心が傷付けられてまでやらなければいけない仕事は無いよ、という話を上司が静かにけれどしっかりと話してくれた。そういったものはすべて捨ててしまおう、とも。一人でヒリヒリしているよりも捨ててしまって良いよ。傷つけた側を知り、そうじゃないようになろうと思えればそれだけで良しだよ、とも。

 

そうだそうだ、そうだった。美味しいを得て肯定的になれた私は素直にその言葉を飲み込んだ。正義である美味しいと上司のその一言でめきめきと日々を回復させる私は半日潰してしまったヒリヒリの心に喝と労りを込めて心の中で唱えた。

どんなに苦しくても「ごはんうまい」がある限り大丈夫。そしてグッサグサに心をえぐるモノからは全力で逃げよう。笑いながら全力で。

 

投げつけられた他人の毒気をたわやかな己の歩みと昇華して明日を進むのだ。

 

 

白日

「かわいい」が挨拶のような、美への基準がぐんぐん上がっているとひしひし伝わる日々の空気。求められる可愛さとは逆に下げられていく服の価格。毎週毎週新作が並ぶ店頭で「ああ、誰が泣いているんだろう」という考えが一瞬頭によぎる。

値段関係なく本当に気に入ったものしか買わない、買ったら大事に着るを己のルールとすることでせめてもの救いを(自分の罪悪感に対しての)と思っているけどその救いも通用するのは身にまとうものだけに限られるのではと思う。

服とは違い目に見えない自分自身のあるべき姿を平凡な日々で描くため、尚更重要になってくるのが自分のセンスただ一択。服のように毎週新作とはいかない。それでかつ表現とは常に動いているのだからこれでいいのかという疑問は24時間つきまとう。

 

お母さんのお腹の中にセンスを置いてきた私は、ふと両手を見たところで「おやまあ何もねぇ」の感想しか出てこない。

彼女と出会ったのは何がきっかけか。ぼんやりとしか思い出せないけど今でも鮮明に覚えているのは「私は自分のセンスに確固たる自信がある」と言ったことだ。その言葉は一ミリも嫌味がなく、完全に彼女そのものだった。

 

出会って数年経つ今日もそんな事を思い出しながらジュウジュウとたこ焼きを作った。ここではない何処かへ。それは幻想のまるで魔法の台詞のようだと残りわずかな20代を過ごす自分を思い、それでも目の前のたこ焼きは美味い。流れる「真昼に見た夢」が終るころ私たちは満足してソファを見に出かける。

 

一人暮らしの部屋には大きすぎるソファを物色しながら、これがあったらという想像を話しては盛り上がる。フェイクで飾られた風景の壁紙を見ながら展示のソファに座り込みこれが夢見たアーバンライフかとふざけたりした。

帰り際、ポツンと川沿いに立つ風景とはアンバランスな派手なハイツの壁面にデカデカと「アーバンライフB」という名前を発見してお互いクスッとなる。

 

私たちが描くのはアーバンライフではない。ルーラルを楽しめる柔軟さと敏感な選択。そこに立つまでに背負ったものを払拭し、確固たるセンスをぐっと握りしめた彼女の背中はいつも優しい。そして華奢な体に反して大きく見える。

私の大好きな人たちはいつもそうだ。決して横柄でなく自分の存在を丁寧に表現できる。改めてこれからもその先を見つめる彼女達の片隅に穏やかに在ることができればなと思った。

たこ焼き美味しかったなあ。

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日々の延長

寝て起きて仕事に行き帰宅後ねこと遊び過ごす毎日。

日々ラジオを聴き、自炊で三食摂り、花に水をやる。

「おだやかな暮らし」と言うやつのお手本のような生活だと思うのだけど

私の暮らしはきっと人々にとっては退屈であろうなと思う。

例え褒め言葉であろうとも「変わっているね」と言われると心底ショックだ。

それと同時に変わっている事を率先して好む人達も少し苦手だ。

選ばれし己のセンス!という選民意識が強い集団はとてもこわい。

 

なるべく波風起こさず、何かの活動をするわけでもなく、読書も映画も見ず

旅行も一人でする。

 

子供も老人も男も女も、基本的に私は人間が好きだ。

種として同じとされるけれど個々がこれほど違う生き物が沢山、なんて面白いんだろうと思う。だけど常に行動を共にしたいわけじゃない。

 

人と関わる事でエネルギーをぐんぐん循環させる人たちがいるとしたら

私は自分の内の内の方で沸き立つ気持ちをひとつひとつ消化するタイプだと思う。

こう割り切れるようになったのも最近で、みんなが言うフツーに追いつけなくて混乱していた時期もあった。

 

即反応、即判断、即評価が最近の流れなのか素人だろうがなんだろうが関係なくなんでも感想や意見を発信する世間のなかで「よくわからない」という感情をずっと抱え込む私はオカシイのかもしれない。

だけどすぐに何かを見出すのはとても難しい、私にとっては。

 抱え込んだものとずっと向き合う事に集中すると日常を生活するので手一杯になる。

外に出る事が楽しいと思えない日もある。

 

昨日見た桜は満開だった。寄ってきた子供に「なんさいですか」と訪ねたらはっきりとした口調で「35さい」と答えた。まさかの先輩。

年齢はただの数字でしか無く、物事の感情をどう捉えるかの基準にはならない。

その35さいの小さい先輩とお花がきれいだね、そうだねとぼんやりおなじものを見つめていた。彼女の中で思い描くその感情と私のとはきっと全然違うのだろう。

だけどそれを表明することなく(その方法も分からず)ただ無言で見つめる空気が静かで心地よかった。

 

 生活の1秒が続いていく明日であることの幸せをその子も感じて大きくなってほしい。

平凡が一番だよ。美味しい、楽しい、美しいで満たされた穏やかな日々よ。

 

 

 

 

somewhere called phantasien

一昨年のこと、見たことも会った事もない親戚を訪ねて1人で四国へ出向いた。母親の出生地を調べその街へ行き、数年前まで年賀状でのみやり取りをしていたという親戚の住所もメモに書き留めて、瀬戸内海を渡り自転車をぶっ飛ばした。

なんでそんな事をしたのか、人に聞かれてもうまく説明できないのだけど、物理的なとこの「私はどこから来たのか…」ってやつが知りたいなと思ったから。アイデンティティなんて大それた言い方は違う気がするけど、おじいちゃん、ひいおじいちゃんそのまたおじいちゃんがどこからやって来たのかを正確に知ってる人ってなかなか居ないんじゃないかな。私なんて20を過ぎるまで自分がオランダの血を引いているなんて知らなかった(1/8なんてゼロに等しいが)

 

どこから来たかが分かったところで自分がどこへ行くのか決まるわけもないけれど。

 

田舎の若者がこぞって都会を目指す。

東京はいつだってカッコイイ存在であって欲しいな、と都会にためらって踏み出せなかった私は思う。

いつだったか新宿生まれ新宿育ちの友人に「みんなみんな東京を目指してやってくるのが常だけど、元々都会育ちは将来的にどこへ行きたがるの?」と聞いたら「どこも目指しませんよ。何か希望を土地に託すのは違う気がするんです。」と返答された。

そんな彼女は早々にアッチに行ってしまって、目指してたのはそっちかよ…と将来私が死んだら怒りに行こうと思っている。

 

どこから来てどこへ行くのか。何から生まれて何を以て過ごすのか。

 

親しくしてくれる何人からか「きみは戸惑うほどまっすぐな事があるよ」と言われた。それでしか過ごせなかった私はその言葉が持つ意味をうまく消化出来ずにいる。視力が良すぎると遠くの壁の汚れまで見えちゃって苦しくなることがある、きっとそんな感じと新宿ガールは言ってたっけな。

自分がいる場所が把握出来なくて胃が浮く不快感を覚える事が多々ある。

 

数年前目指した、見たことも会ったことも無い親戚は不審がることもなく私を受け入れてくれたその一番の理由に「おじいちゃんにそっくりやわ、顔から形から話し方まで」と言った。

それがとてもとても嬉しかった。母が高校の時に亡くなってしまったおじいちゃんには当然会うことは無かったのだけど、話で聞く彼は触れたことが無くとも私の大好きなおじいちゃんであったから。

 

親戚のその一言で少し楽になった。

ああ、このワケの分からない浮いた不快感を抱えたままでも良いのか。そう自分自身で安心できたからかもしれない。

もしかしたらみんなこの気持を抱えているのかも知れない。私が聞いて来なかっただけで。

 

目指す場所還る場所その実態が分からないままみんな過ごしているのだと思うと、きっとそこは良いところに違いないと思ってしまう。

それぞれにぴったり沿った場所へ、きちんと向かうのであろう。私が強く芯にすべきなのは優しさよりも誠実であろう、いつだって。

 

さあ4月。新しい年だ。力みすぎず季節と心の変化に敏感に、物事を柔らかく扱える春にしたい。

 

ユカイなアイのセカイ

夜中3時、遠くに住む家族(のような大切な人)から

「お休み中ごめん!今日記念日になった!」

と短文が入っていた。

 

普段は送る時間も冒頭の挨拶も丁寧に考え、記念日なんて苦手だと言っている彼女から送られてきたそれは早く伝えたいというスピードと嬉しい嬉しすぎる!という高揚感に溢れていて朝一番にその文字を見て笑った。

 

何歳までを女の子と呼ぶのか日々疑問に思っているし、女子会というものを心底嫌悪している私だけど、今女の子である人もかつて女の子であった人も好きな人の話をする顔が一番かわいいと思っている。なにも恋愛での話ではなくて。家族とか友人とか。

彼女達の話す表情から伝わる、話題にしている人に対する「愛情の深さ」みたいなのが大好きなのだ。

うっへー、そいつめっちゃ愛されてるじゃん!と知らない人だけどこっちまで嬉しくなってニヤニヤしたりする。

 

愛情を注ぐ

 

って、愛って注ぐという表現なんだね~なんて話をかつてした。

あげる、渡す、とかじゃなく注ぐ。液体みたいなもんなのかしらん。たぷたぷんと。

注いだり注がれたりしている関係をぼんやりあたたかく見ているのが、私はたぶん好きなんだと思う。液体と同じくして形がない愛なんてものを大切にしている関係が嬉しくなる。

 

生活は日常の積み重ねだ。注いだり注がれたりは少しずつだから気がつかないけれど、変化しないと錯覚した日々のルーチンが振り返った時に「なんだ愛ばっかじゃん。」と微笑んでしまうものがいいな。

 

みんな家族や恋人、好きな人にこれからも愛を注ぎ、日々を重ねてくれたら私は毎日にこにこニヤニヤして幸せに過ごせる。もちろん私も。

為せば成る、洗えば食える、何事も

3月、あちらこちらが春だ。

卒業したり、入社したり、引っ越したり、新しい何かが始まる様子が街のいたるところで伺える。花が咲いたり風が変わったり、日の入りが長くなったなあと普段見る景色もどんどん春へむけて進んでいる。

 

春になるから梅が咲くのか、梅が咲くから春なのか。

 

いつだったかそんな話題になったけど結局答えは分からないまますっかり春になっている。ああ無理だ、もうダメだ、と思う事が何度となくあったけど気がつけば一年が過ぎているので驚く。

 

仕事が無くて電気代が払えなくなり、水で頭を洗ったことも専門学校のおかしな教師から留守電に「お前は精神がおかしいから今すぐ病院へ行け」と吹き込まれて死にそうになったことも、心臓を二度ほど手術した時だってなんとかなった。

私個人の人生なんか関係なくぐるぐる廻る自然が存在していることは確かに安心を与える。

 

いつ何時もブレること無くじっくりと流れていく物事があることは嬉しい。あと少しと思って30年目になる。長いようで30回しか春を過ごしていないのかと思うとハッとする。春は淡くも優しくもない。スタートの合図が一斉に鳴り、自分が選ばなかった、選べなかった方向を数年後眩しく見つめたりする。

それでも回るのだ、地球も季節も容赦なく。

今年の春も何かを眩しく思ったりするのだろうな、きっと。

 

誰に自慢するでもなく来年の私も今が一番良いなと思える姿でありたい。

 

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ヨックモックは都市の名前だと思っていた事

デンジャーだと思っていた人が「サンシャイン」という名前だと先日知った。

人前で言わなくて良かった。そしてサンシャイン何さんなのかは忘れてしまった。

なんとなく危険な感じがするので、ぼんやりと

(きっとデンジャーさんに違いない)と思っていた。

 

イメージで名前を付けがちだし、名前の音からイメージして勘違いすることも多々ある。

 

壇蜜さんが流行った頃は姿かたちを確認してない私はダンミツという音の響きから、「だん蜜」という調味料の名前だと思っていた。

塩麹とか黒蜜とかの、話題の食材みたいな。体に良い影響を与えそうな方向としてはあながち間違っていない気がする。

 

黒田官兵衛大河ドラマが流行った時は、歴史も知らずドラマであることすら知らなかった私、これまた音の響きから黒豆を使った高級なおせんべいだと思っていた。

完全に「黒」と「べい」に引っ張られている。黒豆のおせんべいは実際に美味しいし褒め言葉ならぬ褒め間違いだと勝手に思っている。

 

ヨックモックはお菓子のメーカーなの?

古代の都市だとだと思っていたよ、ポンペイとかマチュピチュ的な。

ありそうじゃん、ヨックモックの秘宝とか。

 

いかに私が適当に物事を覚えているかという事が分かる。

母さんはドモホルンリンクルをホルマリンナンチャラって言うしきりたんぽをキリタンポンって言う。何度教えても。父さんはポシェットの事をポチェスという。ホルマリンやタンポンと違ってもはやそんな物は存在していない。

遺伝ってこういうところにも出るのかもしれない。

 

何回言っても間違える、と注意していた兄が今や同じ事をしている。

我が身の将来がなんとなく想像できておかしい。

これからも知らない流行りワードを耳にしたら、特に調べずイメージでそれについて考えたりしよう。