もういくつ寝るとお正月だよ全く時の流るる事の早いこと。

 

 

オマエは未だに人生に期待しちゃってるんだよ

これからも普通に生活してれば、

いつか誰かと出逢うだろう、素敵な女の子が現れるんじゃないかなぁ

まさかず〜っと独りってことはないだろうなぁ、ってな、漠然と。

高校生みたいに。


いいか、はっきり言っておくぞ

30すぎたら、もう運命の出会いとか、自然な出会いとか

友達から始まって徐々に惹かれ合ってラブラブとか

いっさいないからな。

もうクラス替えとか、文化祭とかないんだよ

自分でなんとかしないと、ずぅ〜と独りぼっちだぞ、絶対。ずぅ〜っと

危機感をもちなさいよ、危機感を

 

 

 


(映画『運命じゃない人』)

 

映画の運命じゃない人、だーいすき。

今日で10月終わりだってまじか。

仕事のプレッシャーで自殺したり歯がボロボロ抜けたり彼氏が浮気したり猫が居なくなる夢を見た。

 

大好きなススキも金木犀もじっくり感じる事なく、お月見も日中の空が高く気持ちが良い空気も味わう事なく終わった。雨がジャンジャン降って秋晴れって言葉は都市伝説か何かだと思った。

 

もっとやるべき事はあるだろうに。やるべき事…やるべき事?

やるべき事ってものにこだわるのは苦しくってダメだなあ。理由なくすんなり手にする物事が私の本心だよなあ。

 

 

危機感を持ちなさいよ、危機感を。

私の生活よ、縛られるな。

 

グッバイ10月。

運命じゃない私の生活。

マボロシじゃない現実。

気が狂いそうで楽しい!

寝て起きてハロー11月。

 

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いつも角刈りにしている床屋の名前はイルカ

ドチャドチャに働き詰め、あと1日というところで残りの仕事を明日の自分へ託し定時ダッシュをキメた本日。

明日の自分が死んでもいいから、ここはダッシュしなくてはいけなかった。結果明日の私は死なないし今日の私最高という気分の今。

 

走る電車の中を貸し切ってラップとタブラを聴くという、誰がこんな意味分からない企画考えたんだよライブへ行ってきました。

 田舎を走るわずか二両の電車の荷台にはミラーボールや7色ライトが乗せられ、本来の電灯は消え、うっすらとした青紫に発光する車内。それだけでも十分怪しいのに電車の最後部にはパフォーマンススペースとずらっと並んだタブラ。

 座席から通路、つり革にぶら下がり、床にしゃがみこみ、あらゆる方向へ移動しながらでもその目はまっすぐどこかを見つめる2人のラッパー。無言かつ無表情でそして軽快に叩いているのに車内に響き渡るタブラのおばけ。

 

使い慣れたはずの電車は観客の熱気と車内の気温も相まって、窓は蒸気で真っ白に。
どんどん上がるリズムが心拍数をさらに押し上げ、自然スモーク化した窓ガラスの外を通過する踏切遮断機の真っ赤なライトが車内ミラーボールに反射し、くるくる回ってここは一体どこだろうという錯覚に陥る。

 日常という電車の中で繰り広げられる非日常が楽しくて楽しくてどんどん体が浮いてきてどこまでも行ってしまうかと思った。宇宙の果てまで走る電車が存在する!!そう思っていた矢先暑すぎる車内のせいで誰かが窓を開けた。

昔ながらの上にぐっと押し上げる窓、ギギっと音を立て開いた先には長方形に切り取られた現実がスッと目に飛び込んで来た。スコーンと飛び込んできたそれは
あ、こっちの世界だったか、私の生活は。と思わせるには十分な重たい重たい夜に見えた…少なくとも私には。
街灯1つすらなく、真っ暗に深く深く広がる夜がただただ長方形の窓枠を流れては空気を搔き切る音が圧となって入り込んで来る。

 それでも止まないリズムとミラーボール。一瞬ひるんだ長方形の闇は、でもこれがあってこそだよな、私の生活は。とさえも思えるグッと腹の底から日常の面倒臭いが全て吹き飛ぶ気分だった。正の気持ちに負の現実が向き合った時になかなか正の方へ突き抜ける機会は少ない。

 

ずっとずっと止まらないで電車と祈った。
https://youtu.be/xSdHgO6XWio

 

リズムが音が光が楽しい。
ただそのシンプルな嬉しさを改めて脳内爆破ダラリ溢れ出した時間だった。以上。

 あと途中後方から調子の外れた合いの手を入れてた女の人がいたんだけど、振り返るたびにだるまさんがころんだ状態で近づいてきていて、最後にはおっぱいを押しつけながらの河津掛けをされたので酔っ払い怖い。以上。

 

地上を走る銀河鉄道999に乗ってしまった日。

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よっぴらった

アルコールを自分で買って、かつ家で飲む。そんな事年に数えるほどあるかどうか。だけど最近アルコールを貰うことがある。今までは横流しで人にあげていたけれど、今日は飲んでいる。変な気分だ。よっぴらってる。

 

酔っぱらったをよっぴらったと言うのが好きだ。よりだらしない感じがする。余りもののおかずを並べグラスに注ぎ仕事の愚痴でも言いつつ飲むべきか。人生に対して実はそれほど愚痴は無い。根暗で膝を抱えて生きていたけど、進行形だけれど、別に私は自分が好きだ。割と頻繁に「死にてぇ」と思うけどそれは「生きてぇ」と同意だとなんとなく最近わかってきた。

 

昨日見かけたよ。笑いながらハンドル叩きながら運転してたね。

(かなりの境地)

そう声をかけられた。一人で車に乗っているはずなのに私は自分が思っている以上に基地外じみた行動をしているようだ。自分が思っている以上に人は私の人生を楽しいものであると捉えているらしい。最高じゃないか。

 

誰かが過ごせなかった明日を、私は過ごしている。さもあり気な台詞。誰かの誰って誰だよ(難しい日本語)とは思うけど私にはその誰かがいる。ずっといる。

 

ケータイから流れるラジオ、横で好き勝手くつろぐ猫たち、いただいたお野菜、近々届く郵便

生活はすべて愛おしい。明日目が覚めてまた「死にてぇ」と思いながら外に出るのだ。1秒先は未来。OK余裕。

 

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意味なんてない

働かずに生きていけるのなら一生働きたくないよなー誰だって。生活の為だけではないかもしれない、働く理由ってのは。
人それぞれあるのかもしれないけどそれでもふと労働中に…アッッッ!このままでは…自分が…死ぬっ!!!
みたいに感じる事がある。
自分の意思とは異なる所まで精神が追い詰められた時、心が死ぬ。
きっとみんなあるんだと思う。

 

先日フラッと訪れた期間限定のイルミネーションスポットにはライトアップされた珍しい植物たちが並び、観光客がわんさか溢れていた。
来る日をミスったな…そう思いつつベンチに座ると向かいにも私と同じような苦い顔したサラリーマンが1人。
仕事中なのか仕事終わりなのか、クタッとしたスーツのポケットからケータイを取り出し、とりあえず写真を撮るもなんだかその目はどこか遠くを見ていて、ああ…分かるよMy bro!と肩を組みたくなるのだった。

 

イルミネーションは綺麗だった。人が少ない時にまた行きたい。わけも分からず見る順を逆走していたのは私ただ1人だったけど。

 

お金を貰って労働するという環境下に置かれてからの私は常に複数の仕事を掛け持ちしている。そりゃあお金はたくさんあった方がいい。やりたい事にも幅が効く。
でも大きな理由はそこではなくて、いくつか過ぎ去って行った私の過ごした職場では辞める際に「お前はこの先何をやってもダメ」と書かれた手紙を渡されたり「頭がおかしいので精神科に行け」と留守電が入る事があった。
別の職場だけど、ずっと忘れない。頭にずっとずっと残っている。

 

私は無能である。

 

その一言を払拭するためにたくさん働く。いろいろな事をやる。無能じゃない。無能なんかじゃない…。
いつまでたってもそこから抜け出せない。

私は無能だ。

なにをやってもうまくいかない。
それがリアル。


能力がなくても生きていていいのに。
納得がいかないのは自分自身であって、そこを認める事が出来ない。頭がおかしいなんて昔から分かっているのにな〜〜。

ぐるぐる回る重たい波の中をかろうじて溺れずに生きている。

 

あのサラリーマンも俺は無能だ沼から抜け出せないないのかもしれない。彼の心にもどうでもいいやとヌルい風を吹かせてほしい。

 

明日はどっちだ、知るか、関係なく明日は来る!健康で生き抜いて笑って死ねば無能でも良かったと肯定できるはずだから、私はまだ死ねないのだ。そこを選ぶのは最後の最後だ。悔いなく三途の川をスキップして渡ってやるつもりナムアミ!

 

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生活はずっと続いていきます、ずっと

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毎月毎月やってくる生理めんどくさい。そう思っている人は私だけじゃないはずだけどいつだったか何かの文で「毎月1回が年12回。つまり妊娠できるのは年に12回だけ」みたいな文字の羅列を見てギョッとしたことがある。明確なところで言うと決して年12回なんかではないはずだけど。

途端にぬるっと生々しい生き物感が出てくるなあ。タイムリミットに追われている気がしてとても怖い表現。2歳だろうが80歳だろうが私は私であるはずなのになんだか時価で販売されているような感覚になる。きっとどこかでそんな風をやんわり感じている、みんな。

いつかそうなるだろう、とぼんやり描いていたものは目の前には無く、まさかそんなことにはならないだろう、と思っていたものが今の私には十分に存在している。染み込んでいる。

お土産にもらったおいしい紅茶、huluにアップされていた映画、図書館で貸出可能と知った気になっていた図鑑、河原でたき火、時間があるときにゆっくり出来るときに取っておこうと思っている楽しみは数ヶ月経ってもそのままの事が多い。

時間が出来たら睡眠を優先してしまう癖が昔から抜けないのは全てを遮断できる方法だと知っているからだ。寝る子は育つでここまで大きくなり、寝る大人はどうなる?を実践中。

 

季節外れの蚊にさされていくつも腫れてしまった腕は、タイムリミットに追われる同じ身としてまあ許してやろうと上から目線でいる。単に私が鈍くさいだけ。

 

9月が終わる。毎月同じ事を思う。もう終わるのか、と。だけど何にもしない。

ごろごろしながらラジオを聞いてケタケタ笑いながら猫をなでる。私の時価があろうがなかろうが生きて死ぬ。

 

 

I'm so lucky to have you in my life.

夏らしい夏を送ることなく無理矢理詰め込んだ「海」の予定は墓地をくぐり、獣道を這い、抜けたところに現れる誰も居ない場所だった。

泳ぐことはおろか革のサンダルで来てしまったので足も漬けることなく寂しく波打つ音と潮の匂いを感じながら「ああ、今ここで拉致られても誰にも助けてもらえないな…死」と思ったのだった。海なんて一人で行くもんじゃねえ。

盛り上がりとはかけ離れた休日をそうして送ったけど心は穏やかで、こんな日がずっと続けばいいのになあと思った。

たっぷりとした睡眠と穏やかな気候、しっかり食べるごはん。それだけ揃えばなんとなく良いと思ってしまえるのだから誰もが描く「おだやかな日々」なんてすぐそこにあるのかもしれない。だけどその三点が揃うことってなかなか無いんだもんなあ。

欠けてしまったおだやかさを別の何かで補填して「おだやかな日々」に近づこうとしているのだろうけど、どこか違うちぐはぐなものに仕上がってしまって苦笑い。

I'm so lucky to have you in my life.

ちぐはぐな私にそう言ってくれる存在もいるから、自分の判断で自分を蔑むのはやめようと思ったりまた目が覚めたら忘れていたり。

 

冷蔵庫の中に1年放置してあったチューハイをようやく飲んだら忘れられていた味がした。夏の終わり。目の前のものを見ないふりして過ごすことは後々心をえぐり取られるヘビー級パンチになったりするもんだ。

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Sigur Rós er Trúarbrögð

私の周りには生活に宗教がある人達が多く、それがどうとかいうわけでは無いけど宗教がある生活とは何なのか。何故私はその生活じゃないのか、というのをふと考えることがあった。

 

新興宗教やカルト的なものに突発的にハマらない限り、宗教とは親から受ける教養の一部なのかもしれないねえ、なんて話をしたことがある。朝起きたら顔を洗う、ご飯の前にはいただきます、な流れでごく自然に受け継がれるその家独自の「生活」というものに組み込まれた宗教。

 

「そう考えると(私)ちゃんにとっての宗教は山なのかもしれないね」とその会話の時に言われたことをすごく覚えている、そしてそれを言われてとても嬉しかったという事も。

父も母も人の姿をした神に対する信仰心はあまり無く、どちらかと言えばその石にも、その川にも、昨日食べた野菜にも神がいるという八百万神信仰だ。それは私達の生活にぴったり沿うものであったしその流れになったのも必然というか、これこそ教養と生活から生まれ親から引き継ぐ宗教という説明がしっくり来る。

 

先日シガーロスのライブに行った。2013年の来日以来4年ぶり。私はルールとして許されようがなんだろうがライブをケータイで撮影するその画面の光がチラチラなることを親の敵のごとく嫌うので、なるべく前に行きたいと今回は頑張った。

ギチギチに詰まった会場前方で隣は2秒も黙っていられないインスタ映え命な男女グループ、後ろには息が臭すぎるのにわざとかと思うくらいため息ばかりつくサラリーマン。はやくライブ始まってくれの一心で私は耐えまくっていた。

余談だけどインスタ映えグループは、間に1人で来ているであろう全然関係ない人を挟んで尚もお互いにひたすら喋り、その関係ない人にバカスカぶつかりまくり、大声で笑ったりしていたので「はやく滅びますように」と睨んでおいた。同時に一人で来ていたであろうその関係ない人になにかとびきり良いことがありますようにとも祈った。

 

4年ぶりのシガーロス。感動とかそういうざっくりとしたものでは言えないかといってうまく言葉にできない感情だった。

宗教、そう宗教だ。音に対して祈りを捧げるなんてことはおかしいのかもしれないけれど、宇宙が生まれて死んでまた生まれ変わる壮大なサイクルを二時間で体感した気がした。みんなの中にある細胞を満たす環境があるとしたら、それと同じ空気と大地をあの場所にいた人全てが吸い込んでグングン満たしたのではないかなあ。

 

自分たちの意志ではどうしようもできない自然の壮大さと同じ狂気と美しさを持つ彼らのライブを前にして私はただただ祈るしかなかった。佇んで全身で生を感じていたと思う。毛穴のすべてから呼吸して、静かに全身がビリビリ震えて開いていく感覚があった。

今すぐ死ぬ気は無いけれど、漠然と生きてて良かったと思った。空気と山と川と空と海とそういった自分のはるか手の届かない、でもいつも身近にある存在の音楽。生きるを許す音楽。

 

祈りを捧げるという感情

許される世界


 

うまく説明できないけれど、四年越しに私はまたビッグバンを体験した。直接的なものでは無いにしろ私にとって彼らの音楽が宗教であるのだと思う。ずっとずうっと聞いて生きようこれからも。

 

あと息がテロだったサラリーマンは内臓疾患が心配なので早めに病院に行ってほしいし、密集地に行くときは私もガム1億回噛むことにする。(騒がしい男女のグループには与える優しさの余地なし)