長く生きてるからといって無条件で敬われると思ったら大間違い!敬うに値しない老人はいる!(by髭男爵)

f:id:sooooogoooood:20180420002943j:image

 

私が私として過ごすために一生懸命守ってきたものを、汚い言葉と厚かましい態度で次々壊さないで。

自分がどうしたいのか、するべきなのか分からなくておそるおそる、それでもここまで来たのに。

私ですらこれで正しいのか分からないけどとにかく進まなきゃ!と踏み出して来たのに。

「常識」と「経験」と「年配」ってだけで私が大事にしている感覚をパリンと割っていかれた日だった。次々と。見るも無残に。

 

下品な言葉と足らない脳でしかコミュニケーションを取れないのだとしたら、もう二度と接触しないでほしい。その人の深いところまで聞こうとするな。答えを聞いて自分の想像と違ったから気まずくなってしまうような質問は、はなからするなよバカかよ。どんな性別でも年代でも不快なく会話をするにはやはり教養が必要だと思った。

私の壊された感覚はしばらく戻らない。よく知らないジジイの暇つぶしである下品な内容と、やたらめったら振りかざす「世間一般論」がザクザクに精神を切り刻んでいったので午後は無になって過ごした。

 

猫がいるから子供ができない!

性行為をしないんだろ!

子供を産まないのは日本の為にはならない!

とまで言い始めたのでさすがにキレて「もしそういう行為をしたとしてもコンドームつけてるから子供ができないんです。猫はコンドームじゃありませんので…」と言ってしまった。

あれ以上同席していたらナイフでザクザクやってしまっただろうな。

 

たとえどんなに成功者であったり、物事の捉え方がうまかったとしても、それはあなたの感覚であって誰かに押し付けることが「暴力」であることをその人は知らない。そして私も忘れてはいけない。

 

多様性とは「いろんな考えの人たちがいてもきっと理解できる!みんなで分かり合いましょう!理解できないなんて失礼!」というものではなく「みんな違う感覚なのだから、そこはまじでほっといて。人それぞれだから…な!あなたも私も理解できない事を抱えている。みんなそれぞれ他人から理解されない感覚を持っているという認識だけ持っておこうや!」という事だという意味の文を見てそうだな〜と感じたけど、今日またその意味を噛みしめる事となった。

 

絶対に私の心は私が整えるのだ、死ぬまでずっと。誰かに潰されようとしてもしなやかに跳ね返すパワーを持たなければ。「まじお前の脳内やばくね?時代錯誤かよ」とゲラゲラ笑える昔ギャルみたいな強さがほしい。

 

あ、いかん!心が死ぬ!!

 

絶望のその先くらいまで来てて、どう思考を迂回させても行きつく先は、死ぬ方が楽じゃん…!になる。死んだことないけど。

考えてはダメだ考えては。そう言われて考えないようにしてもうまくいかない。

未来に希望は無くってただ漠然と今が消費されていくことにヒリヒリする。

 

一生懸命自分だけの世界で自分のことを考えてる時はちょっと冷静になれる。私だけのおしゃべり、行き場のない語り、誰にいうでもないさよなら。

 

 

 

そう思いますしおすし。

自分より大変そうな人に自分の感覚を話すのはやめておこう…という意識が昔からずっとあったけどそれってすごい偏見というか悪い見方だよなと思う。

大変そう、というのは私の勝手な判断であって本当はどうなのかなんてわからない。そうやって私は勝手に一歩引いちゃって本当に話したい人に話したいことの1ミリも口に出せないまま、ヘラヘラして終わる。

伝えたいことを隠したまま続ける会話は辛い。

体調と精神が急に不調になる現象があって何もかもが無理って日が時々襲ってくるのだけどようやく「襲ってきてもそのうち抜け出せる」と少しだけ思えるようになった。不快だし絶望だし死にたいという底辺でかろうじて息をしているような感覚の中で「抜け出せる」と思えただけでもよしとしよう。いやもうそれすらも滅!という日も多々あるのだけれど。

 

人や物事と深く関わる理由はほとんど「面白いから」で、その「面白いから」という理由を超えて、義務として世話をしなければいけなくなったり「やりたいことよりもやらなければいけないこと」が増えたりしていくと、途端に私の生命力がゼロになる。

全部かかえてパンクする前に私対私の対話からうまく浮上するバランスを身につけたり、自分以外にも対話できる関係性を見つけたり、そうだった私はワクワクが原点だったという意識にうまく切り替えられるようになりたい。

f:id:sooooogoooood:20180405215601j:image

 

しみじみ4月は残酷な月だ

春の昼間にノースリーブがちょうどいい私は夏全裸で頭から常に水を浴びながら過ごすしかない。新人類だ。

 

ICカードがただの板でしか無い田舎で、滑り込み電車に乗り込み車内で切符を購入したらちょうどの金額しかお財布になく現在空っぽの物体をカバンにしまっている。こういう感じだいつも私の人生。

ギリギリ皮一枚で生きている。めちゃくちゃ運が良いのかもしれない。なんとなくどうにかなると思っているから何もしない。年齢的に中堅なはずなのに職場では未だに若手であるからふわふわ山で走り回っているだけだったり。

 

ほんとうにこれでいいのか

それを突きつけられる気がして春は苦手だ。電車の窓から見える景色は眩しくて青々していて自然のようには生きられないものかなあとぼんやり思ったりする。

大抵の悩みは自分でめちゃくちゃ稼ぐ、複雑な人付き合いをやめるのどちらかで解決すると思っている。私は脳内がぐちゃぐちゃなだけどそことは別に上の二つをクリアしたら大変満足できるので簡素な人間だなとも思う。

 

今日は昼間から公園に寝転んでピクニックをする予定だけどシンプルで幸せしかない空間だなと始まってもいないのにわかる。日々これがいい。春が苦手なのは自然の芽吹きではなく日常の動きが大きく波立つからなのかもしれないな。

f:id:sooooogoooood:20180403102850j:image

 

 

 

断片的なこと

今年はわりと桜をじっくり見た。夜も朝も昼も見た。遠くから見るともこもこした何かであってポップコーンとか塩おにぎりが咲いてるみたいだった。インディーズな桜のほうが力強さがあるのはなんでだろうな。

 

ドラッグストアの抽選会で今まで溜めてた抽選券をどさっと出し、満を持してガラガラ回したのに当たったのはペロペロキャンディ二個だった。世界を変えるつもりだったのに。
謎のキャラが描かれた見たことないその飴をくわえながらお風呂に入ろうと思う。湯船に浸かってコーヒーを飲んだり飴を食べることはちょっと悪い気がするからなお楽しい。

 

引っ越してしまって仕事も変わった友人と偶然にも100均で会う。
開口一番「髪がないじゃん!」で会わなかった月日を知る。なんのブランクもなくスルスル会話してじゃあまたって別れた。きっとまた会うんだと思う本当に。そういう人たちと私はずっと繋がってる。相変わらず彼女はかわいい。かわいいは正義と心の中で唱える。

 

無音で作業をすることが好きだったり、画面がチラチラなるのが苦手でテレビを持たなくなって10年近くなる。インターネットでも観れる時代だから気になるものは確認できるのだけど、それでもめちゃイケの最後はテレビで見たかったな。何かが終わるってことは当たり前だけど新しく始まるってこと。


外気温が20度越してて、あー!春とびこえちゃったなーって声が出た。
感覚として秋とか冬が好きだから「はい、次!」ってページめくるみたいに春夏を一瞬で終わらせたいんだけど、そうすると一年はあっという間になっちゃって「季節はめぐるのに私はなにを…」な状態が目に見えているからやっぱり春夏も楽しめるようにしたい。もう半袖素足で過ごしてしまった私は真夏をどう乗り切れというのか今から考えている。

 

人とくらべることはどれほど自分を傷つけるか知ってるのについついその気が出てしまうの、自分の嫌なところトップ3に入るな。未来を考えるのは苦手だから今の自分がより納得できる姿でいたい。そう思いながら久しぶりの腹筋フルセットしたら死んだ。目に見える変化は納得と自信につながるから。

 

頑張っている大好きな人にさらに頑張れは言えないけど、応援しているよが伝えたくてポストカードを一枚投函。愛を伝えることは勇気なんかいらなくて私はいつだって好きな人たちに好きだと言う。

 

だらだらと1日の記録として書くのも良いかもしれないなあ。とりとめもない日常を記録として残すのは難しいからこそ。

f:id:sooooogoooood:20180401005206j:image

ゴールデンレトリバーの目

私がやっていることを「女々しい」と言う人がいて、それをずっと考えている

 

その時はカチッと変なスイッチが入ってしまって一気に戸を閉じてしまったので、ただただ「そうですね」と返すしかなかったけど、私はそこで何を感じたのだろうかと。

何かに当てはめれば安心できるという感覚はすごく分かる。そいつのせいにしちゃえるから。だけど昔からカテゴライズされることを嫌悪していた私の心情は今も健在のようだ。血液型。男女、地域、趣味嗜好、○○なら△△だろうと安易に考えてしまう回路がすごく嫌。私は私であってそれ以外の何者でもないのに。あなたもそうであるのに。

愚かな人は理解できないことをとりあえず否定する、と偉いどこぞの誰かも言っていたようにあまり知らない人を愚かとは言いたくないけど、それでも案にカテゴライズすることで事を済ませようとする人は好きではないなと思う。

じゃあ私がその「女々しい」と言って来た人にどう対応するのが良かったのか。

「性を示す言葉とマイナスな意味を直結させた言葉を使うなんてがっかりです」と言えば良かったのか。たぶん相手は何の罪悪感も持っていないのだから言ったところでピンと来ないだろう。ずっとずっと思っていることは普通なんて無いってこと。自分が思っている“フツー”は自分以外には異常であるかもしれないという意識を持つこと。

 

私が出来ることはただ「やりたいことをやって幸せにいること」を示すだけだ。否定されようが馬鹿にされようがこれが私なのだからと大切に過ごせる心の余裕を持つことであって、いちいち人の言うことに引っかかり考え込む事なんて無いのに。

 

外にエネルギーが向かう時と内に向かう時があって、今私はガンガン内にエネルギーを使っているので自分の事ばかり考えている。どういう人間が私なのかをぐるぐる考えてそのあるべき位置にストンと収まりたくて探しているけど、まあそう簡単に済む話では無い。

春だからなのかどういうわけか、過去仲良くしていた人や元彼などから連絡が集中する最近。みんなの思考を問うのが好きな私はそういうやりとりを好むのだけど「そういうときの○○ちゃん(私)は目元がゴールデンレトリバーみたいやわ。悲しそうなのにちょっと楽しそうで。」と言われた。

ああ、そうかこうやって私は「私と私以外の人」の違いを知りやはり個は個であることのさみしさと楽しさを認識しているんだなぁと改めて思った。

それが良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。私の感覚を話すからあなたの脳も見せて欲しい。

カテゴリーに囚われない本当の自分の感情をことばにすることは意外ととても難しく、自分の嫌悪していることだからこそ意識しすぎてしまうモノなのかもしれない。

次にもし冒頭の人と再会したら、私はにっこり余裕をもって笑えるようにゴールデンレトリバーの目でぐるぐる考えを巡らすのだ。

 

女は顔を伏せ、近づく機会を男に与えるが、男には勇気がなく、女は去る

人の恋愛を聞いて、さも正しいアドバイスの如く喋る人がいる、男女問わず。それが仲良い人なら尚更「あ…この人は何を言ってるんだろう…」と心臓がキュッとなる。

それは私に言われていなくとも、その現場を目撃してしまうと苦しい。

 

いつだったかわたしの人との付き合い方を知って「自分のことをもっと考えた方がいいよ」と言われたときに心底がっかりした「うるせえ」と口にしなかっただけまだ偉いと自分をほめたい。相談した覚えはないし聞かれたから応えただけの回答でもないただの返事に意見されてうんざり。

この感覚と30年一緒に過ごしてきたので軽くアドバイスするなら首が飛ぶと思えよという目で「ありがとう」と言っておいた。

 

自分が経験した事が、当たり前だという感覚はどの面においても恐ろしい。その人の身を以て経験した事の苦労や素晴らしさはそれはそれでよくやったな!と思うけど、それを普通として押し付けるなよおらおらおら。

 

どんなに仲が良くったって、一人と一人、皮膚に包まれたその物体は全くの別物だ。

 私は果たしてそれを忘れてはいないか、満開の梅を見て思う午後。いくつになっても春はまぶしくて苦手だな。

f:id:sooooogoooood:20180323195850j:plain