私が私として過ごすために一生懸命守ってきたものを、汚い言葉と厚かましい態度で次々壊さないで。
自分がどうしたいのか、するべきなのか分からなくておそるおそる、それでもここまで来たのに。
私ですらこれで正しいのか分からないけどとにかく進まなきゃ!と踏み出して来たのに。
「常識」と「経験」と「年配」ってだけで私が大事にしている感覚をパリンと割っていかれた日だった。次々と。見るも無残に。
下品な言葉と足らない脳でしかコミュニケーションを取れないのだとしたら、もう二度と接触しないでほしい。その人の深いところまで聞こうとするな。答えを聞いて自分の想像と違ったから気まずくなってしまうような質問は、はなからするなよバカかよ。どんな性別でも年代でも不快なく会話をするにはやはり教養が必要だと思った。
私の壊された感覚はしばらく戻らない。よく知らないジジイの暇つぶしである下品な内容と、やたらめったら振りかざす「世間一般論」がザクザクに精神を切り刻んでいったので午後は無になって過ごした。
猫がいるから子供ができない!
性行為をしないんだろ!
子供を産まないのは日本の為にはならない!
とまで言い始めたのでさすがにキレて「もしそういう行為をしたとしてもコンドームつけてるから子供ができないんです。猫はコンドームじゃありませんので…」と言ってしまった。
あれ以上同席していたらナイフでザクザクやってしまっただろうな。
たとえどんなに成功者であったり、物事の捉え方がうまかったとしても、それはあなたの感覚であって誰かに押し付けることが「暴力」であることをその人は知らない。そして私も忘れてはいけない。
多様性とは「いろんな考えの人たちがいてもきっと理解できる!みんなで分かり合いましょう!理解できないなんて失礼!」というものではなく「みんな違う感覚なのだから、そこはまじでほっといて。人それぞれだから…な!あなたも私も理解できない事を抱えている。みんなそれぞれ他人から理解されない感覚を持っているという認識だけ持っておこうや!」という事だという意味の文を見てそうだな〜と感じたけど、今日またその意味を噛みしめる事となった。
絶対に私の心は私が整えるのだ、死ぬまでずっと。誰かに潰されようとしてもしなやかに跳ね返すパワーを持たなければ。「まじお前の脳内やばくね?時代錯誤かよ」とゲラゲラ笑える昔ギャルみたいな強さがほしい。