書くこととは全然、全く違う。

いつだったかブログというものをやっていた気もするけど、久しぶりにこうやって自分の頭の中を文字にする。大学中は絶賛mixi万々歳な世間だったのだけど、ふとした瞬間にmixiの文字が泣きながらグーパンチしているウサギにしか見えなくなって、はたと辞めてしまった。

 

m ixi

 

 

 

私にはツイッターの140文字という制限の中で今、その瞬間に、という感覚がとても沿っていると思うけど、一旦スイッチが入ると続々と頭の中身が出てくるのでこうやって制限なしに書き出せる場所はいいなあと思った。改めて。

 

絵本は小さな頃から大好きで、夕飯の片づけを母がしている中、本の部屋からその日の一冊を選んで父親まで持って行くと膝の上に私を乗せて読んでくれた。内容ははちゃめちゃで、父のオリジナル。原作丸無視だったけど私はそれが大好きで私の幸福のカタチの原点はそこにある気がしている。

 

絵本と小説は全然違う。

私は小説が読めない。大人に向けて書いた嘘の物語(言い方が悪いかもしれない)ありえるかもしれない環境を背景にした想像上の話がとても苦手なのだ。

現実味を帯びていて、他人の目として読めない。自分の中に入ってきてとても疲れてしまう。他人の人生をくるっとひとまとめに背負ってしまう感覚になるのだ。

人の人生まで生きる暇はない。

とは言い過ぎかもしれないけれど、いわゆる読書離れの人なんだと思う。本をたくさん読んでいることはとても素敵な事なんだろうな、と思ってはいるけど読めない種類があっても間違いではないよな、と自己肯定している。

 

私がすきなのは、自然の流れとか、海とか山とか、生活に関する本だ。そこにあるものがどこから来たのか、とかも好きだ。これは父親の影響が大きいと思う。

父が小説を読んでいるのは見たことがない。だいたい図鑑や辞書や研究所。自然界のしくみについて書いてあるものばかりだ。

歴史的人物の話もあまり興味が無い。

昔生きた人が何をしてようが自由だ、現代の我々にとやかく言われるのは嫌なのかもしれない。死んだ後はそっとしておいてほしいかもしれないから。

 

小説が読めない私が文字を並べるというのは、読み手のことも考えちゃいないし、文章の構成もダラダラだ。だからこれは物語ではない。

 

物語ではないよ、私の脳内だ。

きっと追記も変更もするだろう。

私の溢れる頭の中身がこぼれてよそに流れるようならここにとりあえず置いておこう、そうする事にした。