発芽玄米

髪をショートにした時に「ワックスで整えなよ」と美容師さんから言われていたのに全然やっていない。いつも寝起きに手グシでがしがしやるのみ。右に分けても左に分けてもどっちつかずのピヨ毛が発生し、いつも困ってしまうけど、まああなたはそこでピヨってなさいと諦めるしかない。

もう何年も腰まで届くスーパーロングだったし頑なに変えなかったのに、切ってしまえば短い方がいいなんて言われて「私の数年間はなんだったんだ」って呆気に取られた。

だけど好きで伸ばしていたわけだし、もうあそこまで長くすることは無いかなと思うと良い記念だ。

なんだってそう、人はなんでも意味を持たせたがる。理由がないと自分の行動に意味を見出せないから。意味とか理由とかそういうものが無いとだんだん動けなくなっちゃって。あれ?そんな重苦しいものだったっけ…とかつて自分がやりたくてやっていたものたちを手放していく。

 

腰まで届く髪がショートだった何年も前の私しかしらない人と偶然連絡することとなり、流れで実は会わない間にめちゃくちゃ髪が長かったんだよという話をした。でもその人にとっては私の髪が長かった期間のほうが不思議なわけで「あなたはずっと短いイメージだったからねえ」だって。

 

そうかそうか、知ってることが全てであって知らないことは無いものとされるんだもんなって、当たり前の事に納得。それならあらゆる自己の「変わること変わらないこと」への不安も他人にとっては知らないものなのだから力むことないってなんだか少し落ち着いた。

 

発芽玄米みたいにぴょこぴょこ跳ねるピヨ毛もそのうち愛おしくなるだろう。

 

私は私になりたくってずっと苦しんでいるけど好きなものを見て、食べて、踊って、歩いて、笑って知らないこと全部見たい。それが私になって死ぬ全てだと思う。

自己の葛藤はずーっと拭えないからそれならせめて、無意味であることの楽しさは忘れずにいたい。理由などなくてもいいと自分が強く思える心でいたい。