胃腸の調子がどうにもよくない。
良い先生と薬剤師さんのサポートで合うお薬には出会ったけど「あくまでお薬だから、それが無くても良い状態にしていきましょう」という話。なんと商売っ気のない人たちなんだと思う(ほめている)
お腹が色んな意味でクソすぎるので丸まって過ごしたい毎日。
好きな人に好きだと伝えたり、自分が見たい、知りたいと思う事にまっすぐむかうことは良いなあとシンプルに感じたこの数日だった。知らない街はいつだって楽しい。それはもちろん自分の帰る場所があるという前提のもとだから楽しめるのかもしれないけれど。
旅行中はいろんな人のいろんな気持ちを垣間見ることが多く、赤の他人だけどみんなそれぞれ生きてるなと当たり前の事をダイレクトに感じられるから好きだ。ごちゃごちゃしたそれぞれの生が交差するなかにいる事が分かると、気負いせず自分の生活を送る事ができる。
あちらこちらで梅が咲いているのをみると誰かが言ってた「梅が咲くから春が来るのか、春が来たから梅が咲くのか」を思い出す。心は全然ついていって無いのに季節ばかりがまぶしい春だ。
もちろん投げやりになっているわけではない。うっすらと膜のように張った「死にてえな」はもうどうしようもない事なのでそれを引き連れたまま、それでも大切な人たちと話すとまだ自分が未来を望んでいいことも分かって嬉しかった。
…本当は全然死にたくない。あんな感情クソくらえだと丸めて投げ捨てたい。だけどそうできないまま生きているのだから。何度もいうけど死にたいは生きたいの表裏一体であるから見つめる勇気がもっと欲しい。
ネガティヴに向き合うことが今月の目標であったな(先生と決めている)見えない感情と向き合うって意味が分からない無理お手上げ助けて、と半笑いしているけどきっと大丈夫、そう思えた。
私のいっぱい好きが分かったから。