今日も良い一日でした

私の生活に関わる重要な人たちを好きすぎて「みんな最高!しかし私にはなにも無い・・・人生なにやってんだ」と落ち込むことが多々あるのだけれど、先日その話をしたら

「その人達の仕事はすごいと思うし尊敬しとるし、俺なんかは比較にならんと思うけど、オレ何もない、とは最近あんまり思わんくなってきた。なぜなら今日は天気いいから。天気よくて気分もいいから。」

という回答がきて、この人は本当にすげーなの一言だった。そうだったそうだった。自分が楽しむ方法を心得ようと思ったのはこの人がきっかけだったなと。

べつに今の私の状況を話したとかではないけれどそれでも5年ぶりに色んな事が話せたのは良かった。お互いが今はまっているものが偶然インド由来のもの(ヨガ、舞踊、楽器など)だったのでその話から彼が専攻していた民族と宗教の話なんかもできて

そうそう、こういう自分の頭の中をぐわんぐわんとまわる話題がずっとしたいんだよって興奮した。私は答えを聞きたいわけではなく、そこに行き着くまでの「わからないことをわかるようにする過程」が好きなんだと話しながら強く思った。

楽しすぎて「うは~好きになっちゃうじゃん」と勢いに任せて言ったら冷静に「いや、ならねーだろ」と返され笑顔で「ならない!」と答えた。

お互い本当に話したいことがずっと話せるという時間であったことがどれほど嬉しかったか。

 

自分がどうありたいとか、何が好きとか、どんな思考をめぐらせることに幸せをかんじるかとか、物じゃない好みをもう少し明確にしたいなと思った。今でもそこに対するこだわりは強い方だと思うけど「○○でいいなあ・・・」と眺めるだけはもう飽きたので眺める対象と異なる自分を愛するか、もしくはそこに近づくよう動きたい。

誰かを見てまぶしくなって目を伏せるのは全然幸せじゃない。お天気が良くてぐーんと背伸びをしてまっすぐ自分を見つめられる日をたまにでいいから作ろう。毎日をずらっと並べた時に「なかなか良かったじゃん」と自分で言えるようになりたい。

 
 

 

 

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