薄いカーディガンをぺろっと引っ掛けて

いつだったか誰かの文章で服(主にカーディガン)を羽織ることを「ぺろっと引っ掛けて」と表現してあるものを見た。なんて可愛いんだと見つけてすごく嬉しくなった。サッと羽織る、ではなくぺろっと。

私はカーディガンを着ない。制服として着たこともあるけど私服では1枚も持っていない。あれを着るとなんだか居心地が悪い。厚手のカーディガンを着るなら迷わずセーターを選ぶし、薄手のカーディガンは1枚下に着ている服にぴったり吸い付くような感覚が苦手だ。

私も誰かの文章のように気軽にぺろっと引っ掛けたかった。日常として着る、そこに違和感を覚えたくなかった。

 

4月はもっともっと先にある感覚だったのにいつのまにかそこにある。春は苦手だ。毎年毎年同じような事を言っている気がする。何かを終えて、何かが始まる。みんな目標を持ち新たに決意し、そして一歩進む。そうじゃない私は1人横になっている感覚が抜けなくて眩しくて眩しくて心の置き所が見つからない春が苦手だ。

 

感情が感情を呼んで雪だるまみたいに大きくなっていく事が多々あり、ぐっと踏みとどまる為に漠然とした自信とパワーが必要で「私は大丈夫」と唱えて耐えるのだけれど、自分自身を鼓舞するのは毎回うまくいくわけではない。

そんな中バカみたいな遊び(ネットに落ちてる性格判断みたいなやつ)の結果が心底ハッピーで、そういった根拠のない私への褒め、みたいなのがすごく救いになったりすると気がつき、占いに助けられる人の感覚がなんとなくわかった気がした(嫌なこと言ってくる占いは即無視ね)

 

大人になればなるほど「難しい事を考えて、難しい言葉を使わなきゃいけない」て思ってしまうけど、本当はシンプルに分かりやすいものたちだけで組み立てられる事が1番良いのにな。

 

もっと気軽にぺろっと引っ掛けて、前に向かってひょいと一歩進みたい。