目に見えないものに限って複雑に出来ている

 

久しぶりにヨガに行って体がガチガチだったと実感した。長生きはしたくない。悲観とかではなく明日死んでも別に良いと思っているけど死ぬならサッと死にたい。生きている間はギリギリまで元気がいい(そういう意味で健康で居たい)

家族の事が大好きなので実家に帰ってゆっくり話して家に帰ってきたその夜に嬉しさと幸せと、もうここから何も終わらせたくないって気持ちが入り混じって泣いてしまう。私は末っ子なのでよっぽどの事が無ければみーんな先に死んでしまう。考えただけで狂いそうになる。だれか1人でも欠けたらどうしようって不安で不安で仕方がないのだけどいつも隠して生きている。

 

誰でもオンオフの切り替えは持っていると思うけど、私はそのスイッチのバリエーションが多すぎてオンオフというよりもこの人に対してはこの私!というのが対応する人それぞれに作っていた。それぞれの自分で相手を満足させることによって私の存在を知り自尊心を満たしていたのだけど、そうすると主となる自分が誰なのか分からなくなり、バラバラになって崩れた。自分の気持ちに関して誰かに伝えるということがとことん苦手でなるべく人の感情を揺さぶらない環境に身を置きたいと思っていた(いる)

物事に対する意見を述べる事は得意だけど、今自分の心がどうなっているのかという話になると一切無になる。話せる唯一の相手が心療内科の先生で(だから私はいつまでもお心クリニックラバーなのだけれど…)それでもハンカチをぐっっと握っておかなければ話せない。ハンカチを忘れてしまった日にはわざわざ取りに帰るほど。

街や駅で見ず知らずの人が怒っていたり、大きな声を出したりしていたら自分に全然関係なくてもぐわっと心が苦しくなる。早く帰りたい、が先走ってしまいその場の楽しさも半減する。他人の感情に過敏すぎる。

数年前から診療内科に通うようになり、ようやくそこまで把握できるようになった。先日「大進歩だね」て言われて嬉しかった。今までは何がどうなって苦しいのか霞がかかって何も見えなかったから。状態が分かれば原因を探しやすいし対処も見つける事ができる。今はそこをウロウロしているところ。

5年かかるか10年かかるかはたまた死ぬまで自分の事はよく分からないかもしれない。だけど、誰かのせいにするわけにはいかない。私の人生は私が楽しまなければ。

いつか誰かにこの話をできる日が来たらいいなあ。このミッチミチに詰まった感情を光と昇華して生きたい。

今日は大好きな人の誕生日だ!愛を伝えなきゃと急いで手紙を出した。私が今できることは大切な人に愛を伝えること。それは自分を満たす為でもあるということ。