誰でもないところからの眺め

『誰も見たことがない魚は誰も見たことがない魚だとは知らない誰かにもう見られているかもしれないだろう』

 

 

きっと瞬きをすればそこは年末。

おどろく速さで夏を駆け抜けている。かつて私を苦しめていた宿題たちは存在せず代わりに長い休みは消えてしまった。あれあれいつの間にそんなトレードしたんだっけ。

 

知らない世界にいつの間にか住んでいる。いつだってそんな気分だ。同じ人間の殻をかぶって生きているのに5年前の私は今の私がこうなるなんて微塵も予想出来なかっただろう。計画性が無い、良く言えば行動力がある(思いついたらまずやってしまう)その性格は私を雑にしている、しかし遠くまで飛べる力になる。

 

私はあなたじゃない、あなたは他の誰かでも無い。知らないところに住んでいる沢山の誰かは私とは違う。

みんな自分の場所で生きている。その場所が変動しようがその人の場所には変わりがない。その生に貴賎はないけれど、でもどうしてもそこに違いは生まれてしまう。その違いを私たちはどう受け止めたらいいのだろう。

 

誰にも思いを重ねずに対話が出来れば糸が絡まる事は無いであろうに、どうしたってそこには私が自分が重なってしまうから単純に元通りなんて事にはいかない。だれでもないところから眺めることができたなら、と不可能なことを重いつつそれでも私はこの先も誰かとの(何かとの)わだかまりを絡まったままただ重ねていくしかないのだと思う。

 

そんな難しいことを頭で重い浮かべてもだらりととろけていく夏。日が沈まないのに時刻は夜で、ぬったりした空気の中をぺたぺたした安いサンダルでアイスを買いに向かう道のり。私は誰でもないところからは決して見る事の出来ない、このとろけた脳を抱えて過ごすことで、はじめて私であると思っているのかもしれない。

見たことのない魚を日常の連続の中できっとみんな見つけているのだろう。珍しいと思わないから口にしないだけであって。いつだってそこにあるのはあなたの前だけの出来事かもしれないのに。

 

夏はあっという間に終わるのだ。誰かの眺め、誰でもないところからの眺め、それはすべて自分を通した上での魚。

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