2023.08.07

大学時代から親しくしていた友人とこの春からパタリと連絡が取れなくなった。仕事の形跡はあるので生活は続いているのだろう。

誰かに紹介する際はお互いの事を家族として話しており、彼女に会う時に恥ずかしくない自分でいたいと思いつつ生活をするような存在である。

連絡が途切れたと言っても元々頻繁に連絡をする習慣が私には無く、彼女の誕生日、一緒に行きたいイベント、が続いたので都度テキストを送ったのだが返答は無かった。そういえば年末に新居の住所を尋ねた時も返ってこなかったわ。

こういう事は頻繁には起こらなくとも人生で何度かあるシーンで、私はただ「そういう時期なんだな」と思う。

人付き合いって相互の距離感や感覚や思考が奇跡的に合ってこそうまくいくものであって、いくら親しみが生まれた相手でも「絶対」という関係性は成り立たない。それは別に悪い事ではない。

もしかしたら私の自覚が無いだけで彼女を傷つけたのかもしれない。もしくは彼女の中で私との感覚の違いを覚えたのかもしれない。

今自分が置かれている環境に不安があると周りとの関係性にまで気を回せなかったりする事もある。

とにかく答えは分からないし、出さなくても良いと思っている。人の感覚は動くし変化するしまた戻ったりもする。

わたしは人生の中でわずかな期間でも彼女と関わり、影響を与え合えた事実が大切であるしだからといってそこにしがみつく必要も無いとも思う。

こういう時に私の人付き合いの全てが現れているよなーと思うのだけど、私が私として穏やかに過ごせている上に健やかな人間関係は成り立つものであるからまずは自分の環境整備…なんだよな。

関わる人、大切に思う人が居ることは嬉しいし本当にその人の事は大好きなんだけどそこに依存性とか「なんで!?」「どうして!?」はあまり生まれなくて。

お互い別々の川みたいなもんで。時々合流し混ざり合ってまた離れて、お互いの水をちょっと入れ替えたりして,そして離れたとしても川は川として立派に流れる。

関わりは突然生まれるし享受された気持ちや考えは大切に私の中で私として生きる。

 

一年後くらいにまた連絡してみよう。お互い元気で過ごしているならそれで良い。穏やかな川であり続けよう。