ちゃんと絶望してる

今日も今日とて終わらないワーク。今の時期地獄のように忙しくて…しかしこれが地獄なのだとしたら私はそちらに落ちてもうまく生活できるかもしれんな、と変な方向に思考を向かわせて現実逃避をしている。

できないことが多いな、私には無理だな、とビックリする。大人になれば当然出来るものだと信じていたことが全く出来ないまま今に至る。「出来て当然」は何も無いと知りきちんと絶望している。

きちんとっていうのは大げさに捉えず、かといって軽んじることもなくそれそのままを目の前にし「うん、ちゃんとダメだな私は」と頷いている感じ。

母の所属する場所に訪れる機会があり「○○の娘です」とおそるおそる挨拶をした。不慣れなところで「関係者である」的な挨拶をするのが苦手なのは決まり文句みたいな声かけが嫌だからだ。「○○さんに似てかわいいわね~」的な容姿を褒める言葉も「△△なお仕事だなんてすごいわ」的なポジションをつつかれるのもぞわぞわするからだ。自分をよく知らない人から褒められても買ってきた料理出して絶賛されている気分になるのだ。自分じゃないところの何かを褒められているみたいなむずがゆさ。

ただ、この日は違った。母を知る人達からは「いつもお母さんが貴方のことを良く褒めてるのよ~」だった。その場にいない身内のことの褒め話を他人に聞かすの推し愛が強すぎるだろうよ。

きちんと絶望する私を過剰に褒め称える存在がいるという事の面白さ(ありがたさ)。本人が絶望と向き合っているのに、そんなことは置いておいて全肯定されている事を知り笑いが出た。

ああ、そうか。全肯定される場所があるから私は自分の絶望ときちんと向き合えるわけだな。これからもちゃんと絶望しよ。出会う誰かをしっかり肯定できるよう、この感覚の絶妙なバランスを忘れないでいたい。