ゴールデンレトリバーの目

私がやっていることを「女々しい」と言う人がいて、それをずっと考えている

 

その時はカチッと変なスイッチが入ってしまって一気に戸を閉じてしまったので、ただただ「そうですね」と返すしかなかったけど、私はそこで何を感じたのだろうかと。

何かに当てはめれば安心できるという感覚はすごく分かる。そいつのせいにしちゃえるから。だけど昔からカテゴライズされることを嫌悪していた私の心情は今も健在のようだ。血液型。男女、地域、趣味嗜好、○○なら△△だろうと安易に考えてしまう回路がすごく嫌。私は私であってそれ以外の何者でもないのに。あなたもそうであるのに。

愚かな人は理解できないことをとりあえず否定する、と偉いどこぞの誰かも言っていたようにあまり知らない人を愚かとは言いたくないけど、それでも案にカテゴライズすることで事を済ませようとする人は好きではないなと思う。

じゃあ私がその「女々しい」と言って来た人にどう対応するのが良かったのか。

「性を示す言葉とマイナスな意味を直結させた言葉を使うなんてがっかりです」と言えば良かったのか。たぶん相手は何の罪悪感も持っていないのだから言ったところでピンと来ないだろう。ずっとずっと思っていることは普通なんて無いってこと。自分が思っている“フツー”は自分以外には異常であるかもしれないという意識を持つこと。

 

私が出来ることはただ「やりたいことをやって幸せにいること」を示すだけだ。否定されようが馬鹿にされようがこれが私なのだからと大切に過ごせる心の余裕を持つことであって、いちいち人の言うことに引っかかり考え込む事なんて無いのに。

 

外にエネルギーが向かう時と内に向かう時があって、今私はガンガン内にエネルギーを使っているので自分の事ばかり考えている。どういう人間が私なのかをぐるぐる考えてそのあるべき位置にストンと収まりたくて探しているけど、まあそう簡単に済む話では無い。

春だからなのかどういうわけか、過去仲良くしていた人や元彼などから連絡が集中する最近。みんなの思考を問うのが好きな私はそういうやりとりを好むのだけど「そういうときの○○ちゃん(私)は目元がゴールデンレトリバーみたいやわ。悲しそうなのにちょっと楽しそうで。」と言われた。

ああ、そうかこうやって私は「私と私以外の人」の違いを知りやはり個は個であることのさみしさと楽しさを認識しているんだなぁと改めて思った。

それが良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。私の感覚を話すからあなたの脳も見せて欲しい。

カテゴリーに囚われない本当の自分の感情をことばにすることは意外ととても難しく、自分の嫌悪していることだからこそ意識しすぎてしまうモノなのかもしれない。

次にもし冒頭の人と再会したら、私はにっこり余裕をもって笑えるようにゴールデンレトリバーの目でぐるぐる考えを巡らすのだ。