私はようやく自分の身長が好きになれたのに

ものすごく不審な話だけど、たまにハッとするくらいリアルな夢を見ることがあってだいたいそれは当たっている事が多い。内容はどうでもいいことで「好きな人の昔付き合っていた女の子がロシアンブルーを飼っていた」というのはだからどうしたNO.1の夢だった(でも当たっていた)

 

今回も多分どうでもいいけど当たってるんだろうな、というような夢をうとうとしながら見た。私はきっと疲れている。離れていく人の手を必死で握ろうとするのはとても格好が悪いから大手を振って見送りたい。

 

相手の嫌なところばかり探してどんよりするのは自分が弱いからだと分かっているので、それも含めて全ておしまいにしよう。

関係ない、と思うと楽になる。もうこれをやらなくていい、考えなくていいし、私のことじゃない。「これから」がないことはとても楽だ。思い煩うことがない。
「これから」は希望だったかもしれないけど、結局呪いでもあったのかもしれない。希望にすがるから動けなくなる。固まってしまう。がんじがらめだ。

でも、「これから」が生きていく指針であることもまた確か。

 

まだ繋がっていると思うから、糸が切れてしまわないか心配になる。糸の切れた凧はふわふわ自由だ。
飛んでいってしまった凧は、きっとどうしたって追えないだろう。風に乗って飛んで行こうが、途中で落ちてしまおうが、手繰り寄せる糸はもうない。


 糸が切れてしまったら、それまで。

 

もっとこうしたかったとか、これがしたかったとか、思っても意味がない。私は意味ないことが嫌い。
だから怒ることも嫌いで苦手。怒ってもどうにもならない。怒りは私にとって無意味だ。

さようなら私の凧。さよなら、綺麗な空、気持ちのいい風、美しい光。

 

日常が目まぐるしく過ぎていく時期が今年もやってきて、踏ん張っていないと私はすぐに折れてしまう。新緑が全て咲ききって梅雨になるころ、私もまた新しく動き出せるだろう。

 

時間が解決するというのは頼りないけど本当のことだ。私は目の前にある業務を淡々とやり続ける。

仕事は好きじゃないけど時に救いとなる。