ものすごい愛

座る間の無いほど走り回る期間が終わった。自分が思っている以上に張り詰めていたようで普段はしないような小さなミスをいくつか起こしてしまった。

今回強く感じたのは、自分の容量を超えるストレスと向き合ったときに全く計算が出来なくなる事と、目の前の相手との会話は耳に入らないのに背後の人たちの会話ばかり耳に入ってきて混乱する、という二点だった。

計算に関しては340+890とかいう小学生レベルのものが出来なくなってしまい相当落ち込んだ。脳で数字が泳ぐような感覚があり桁とか位が意味を持たなくなっていた。まあ電卓を使えばその場は難なくしのげるのでいいんだけど。会話は元々いろんな音が耳につく体質なのにそれがグンと強くなってしまい重要なものだけ聞き分ける事が難しかった。

ここで「ストレス」というのは、単純に疲労も含めての事もあるけど「いつも通りの動きとは違うリズムになった時」私は得体の知れない不安が泡のようにふくらみ、考えるだけで押しつぶされることが多々ある。最近はそろそろリズムが取れなくなる時期が来るな、と先のスケジュールの多忙さを知った時点でその不安がまとわりつくようになった。ひとりの空間にとじこもる事で回避しているストレスがその時間ナシにどう対処するべきなのかが大きな課題になっていて、そもそも泡のような不安がもたらす支障ってどんなことだろうか・・・と観察することから始めようという話になり、なんかヘンだなと思った事をメモしておこうとカウンセリングの先生との話だったのだけど。

やってることが子供の知育遊びのようで、こんなことから潰していかなければ私の心と向き合えないのかとズーンと重くなる。

今なにが必要かって、それはものすごい愛だ。ものすごい愛、それ以外に無い。与えて欲しいわけではなく見つけるだけでもいいし私が愛を注ぐ側でもいいのかもしれない。

先日友人に送ったミックスcdはかなり喜んでくれてそれだけで私はオールオッケーよと口にしてしまったのだけど、そういう事だろう。全て度外視にしてくれるものすごい愛を。