そう思いますしおすし。

自分より大変そうな人に自分の感覚を話すのはやめておこう…という意識が昔からずっとあったけどそれってすごい偏見というか悪い見方だよなと思う。

大変そう、というのは私の勝手な判断であって本当はどうなのかなんてわからない。そうやって私は勝手に一歩引いちゃって本当に話したい人に話したいことの1ミリも口に出せないまま、ヘラヘラして終わる。

伝えたいことを隠したまま続ける会話は辛い。

体調と精神が急に不調になる現象があって何もかもが無理って日が時々襲ってくるのだけどようやく「襲ってきてもそのうち抜け出せる」と少しだけ思えるようになった。不快だし絶望だし死にたいという底辺でかろうじて息をしているような感覚の中で「抜け出せる」と思えただけでもよしとしよう。いやもうそれすらも滅!という日も多々あるのだけれど。

 

人や物事と深く関わる理由はほとんど「面白いから」で、その「面白いから」という理由を超えて、義務として世話をしなければいけなくなったり「やりたいことよりもやらなければいけないこと」が増えたりしていくと、途端に私の生命力がゼロになる。

全部かかえてパンクする前に私対私の対話からうまく浮上するバランスを身につけたり、自分以外にも対話できる関係性を見つけたり、そうだった私はワクワクが原点だったという意識にうまく切り替えられるようになりたい。

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しみじみ4月は残酷な月だ

春の昼間にノースリーブがちょうどいい私は夏全裸で頭から常に水を浴びながら過ごすしかない。新人類だ。

 

ICカードがただの板でしか無い田舎で、滑り込み電車に乗り込み車内で切符を購入したらちょうどの金額しかお財布になく現在空っぽの物体をカバンにしまっている。こういう感じだいつも私の人生。

ギリギリ皮一枚で生きている。めちゃくちゃ運が良いのかもしれない。なんとなくどうにかなると思っているから何もしない。年齢的に中堅なはずなのに職場では未だに若手であるからふわふわ山で走り回っているだけだったり。

 

ほんとうにこれでいいのか

それを突きつけられる気がして春は苦手だ。電車の窓から見える景色は眩しくて青々していて自然のようには生きられないものかなあとぼんやり思ったりする。

大抵の悩みは自分でめちゃくちゃ稼ぐ、複雑な人付き合いをやめるのどちらかで解決すると思っている。私は脳内がぐちゃぐちゃなだけどそことは別に上の二つをクリアしたら大変満足できるので簡素な人間だなとも思う。

 

今日は昼間から公園に寝転んでピクニックをする予定だけどシンプルで幸せしかない空間だなと始まってもいないのにわかる。日々これがいい。春が苦手なのは自然の芽吹きではなく日常の動きが大きく波立つからなのかもしれないな。

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断片的なこと

今年はわりと桜をじっくり見た。夜も朝も昼も見た。遠くから見るともこもこした何かであってポップコーンとか塩おにぎりが咲いてるみたいだった。インディーズな桜のほうが力強さがあるのはなんでだろうな。

 

ドラッグストアの抽選会で今まで溜めてた抽選券をどさっと出し、満を持してガラガラ回したのに当たったのはペロペロキャンディ二個だった。世界を変えるつもりだったのに。
謎のキャラが描かれた見たことないその飴をくわえながらお風呂に入ろうと思う。湯船に浸かってコーヒーを飲んだり飴を食べることはちょっと悪い気がするからなお楽しい。

 

引っ越してしまって仕事も変わった友人と偶然にも100均で会う。
開口一番「髪がないじゃん!」で会わなかった月日を知る。なんのブランクもなくスルスル会話してじゃあまたって別れた。きっとまた会うんだと思う本当に。そういう人たちと私はずっと繋がってる。相変わらず彼女はかわいい。かわいいは正義と心の中で唱える。

 

無音で作業をすることが好きだったり、画面がチラチラなるのが苦手でテレビを持たなくなって10年近くなる。インターネットでも観れる時代だから気になるものは確認できるのだけど、それでもめちゃイケの最後はテレビで見たかったな。何かが終わるってことは当たり前だけど新しく始まるってこと。


外気温が20度越してて、あー!春とびこえちゃったなーって声が出た。
感覚として秋とか冬が好きだから「はい、次!」ってページめくるみたいに春夏を一瞬で終わらせたいんだけど、そうすると一年はあっという間になっちゃって「季節はめぐるのに私はなにを…」な状態が目に見えているからやっぱり春夏も楽しめるようにしたい。もう半袖素足で過ごしてしまった私は真夏をどう乗り切れというのか今から考えている。

 

人とくらべることはどれほど自分を傷つけるか知ってるのについついその気が出てしまうの、自分の嫌なところトップ3に入るな。未来を考えるのは苦手だから今の自分がより納得できる姿でいたい。そう思いながら久しぶりの腹筋フルセットしたら死んだ。目に見える変化は納得と自信につながるから。

 

頑張っている大好きな人にさらに頑張れは言えないけど、応援しているよが伝えたくてポストカードを一枚投函。愛を伝えることは勇気なんかいらなくて私はいつだって好きな人たちに好きだと言う。

 

だらだらと1日の記録として書くのも良いかもしれないなあ。とりとめもない日常を記録として残すのは難しいからこそ。

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ゴールデンレトリバーの目

私がやっていることを「女々しい」と言う人がいて、それをずっと考えている

 

その時はカチッと変なスイッチが入ってしまって一気に戸を閉じてしまったので、ただただ「そうですね」と返すしかなかったけど、私はそこで何を感じたのだろうかと。

何かに当てはめれば安心できるという感覚はすごく分かる。そいつのせいにしちゃえるから。だけど昔からカテゴライズされることを嫌悪していた私の心情は今も健在のようだ。血液型。男女、地域、趣味嗜好、○○なら△△だろうと安易に考えてしまう回路がすごく嫌。私は私であってそれ以外の何者でもないのに。あなたもそうであるのに。

愚かな人は理解できないことをとりあえず否定する、と偉いどこぞの誰かも言っていたようにあまり知らない人を愚かとは言いたくないけど、それでも案にカテゴライズすることで事を済ませようとする人は好きではないなと思う。

じゃあ私がその「女々しい」と言って来た人にどう対応するのが良かったのか。

「性を示す言葉とマイナスな意味を直結させた言葉を使うなんてがっかりです」と言えば良かったのか。たぶん相手は何の罪悪感も持っていないのだから言ったところでピンと来ないだろう。ずっとずっと思っていることは普通なんて無いってこと。自分が思っている“フツー”は自分以外には異常であるかもしれないという意識を持つこと。

 

私が出来ることはただ「やりたいことをやって幸せにいること」を示すだけだ。否定されようが馬鹿にされようがこれが私なのだからと大切に過ごせる心の余裕を持つことであって、いちいち人の言うことに引っかかり考え込む事なんて無いのに。

 

外にエネルギーが向かう時と内に向かう時があって、今私はガンガン内にエネルギーを使っているので自分の事ばかり考えている。どういう人間が私なのかをぐるぐる考えてそのあるべき位置にストンと収まりたくて探しているけど、まあそう簡単に済む話では無い。

春だからなのかどういうわけか、過去仲良くしていた人や元彼などから連絡が集中する最近。みんなの思考を問うのが好きな私はそういうやりとりを好むのだけど「そういうときの○○ちゃん(私)は目元がゴールデンレトリバーみたいやわ。悲しそうなのにちょっと楽しそうで。」と言われた。

ああ、そうかこうやって私は「私と私以外の人」の違いを知りやはり個は個であることのさみしさと楽しさを認識しているんだなぁと改めて思った。

それが良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。私の感覚を話すからあなたの脳も見せて欲しい。

カテゴリーに囚われない本当の自分の感情をことばにすることは意外ととても難しく、自分の嫌悪していることだからこそ意識しすぎてしまうモノなのかもしれない。

次にもし冒頭の人と再会したら、私はにっこり余裕をもって笑えるようにゴールデンレトリバーの目でぐるぐる考えを巡らすのだ。

 

女は顔を伏せ、近づく機会を男に与えるが、男には勇気がなく、女は去る

人の恋愛を聞いて、さも正しいアドバイスの如く喋る人がいる、男女問わず。それが仲良い人なら尚更「あ…この人は何を言ってるんだろう…」と心臓がキュッとなる。

それは私に言われていなくとも、その現場を目撃してしまうと苦しい。

 

いつだったかわたしの人との付き合い方を知って「自分のことをもっと考えた方がいいよ」と言われたときに心底がっかりした「うるせえ」と口にしなかっただけまだ偉いと自分をほめたい。相談した覚えはないし聞かれたから応えただけの回答でもないただの返事に意見されてうんざり。

この感覚と30年一緒に過ごしてきたので軽くアドバイスするなら首が飛ぶと思えよという目で「ありがとう」と言っておいた。

 

自分が経験した事が、当たり前だという感覚はどの面においても恐ろしい。その人の身を以て経験した事の苦労や素晴らしさはそれはそれでよくやったな!と思うけど、それを普通として押し付けるなよおらおらおら。

 

どんなに仲が良くったって、一人と一人、皮膚に包まれたその物体は全くの別物だ。

 私は果たしてそれを忘れてはいないか、満開の梅を見て思う午後。いくつになっても春はまぶしくて苦手だな。

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見えるものも大事、もちろん

書くぞ書くぞ書くぞ

絞り出したやっとの言葉はすんなり拒否され肩すかしだったし一気に無になってしまった。こう頭がドクドクしているときはなんでも吐き出した方がいい、きっと。

 

猫の毛がまたおへそに入ってる。毎日毎日見たら絶対入ってるんだよなー。おへそから侵入を試みているに違いない。ある日目が覚めて猫になってたら女の人に飼ってもらいたい。そんで遊びに来る男の人にプイとかしたい。

 

仲良しで大切にしている女性たちはもう本当に大切で(語彙力)家族なのかはたまた私自身の一部なのかってくらいに想っている。私は同性愛者ではないので男性が恋愛対象になるのだけれど、セックスしてしまえば満たされてしまう側面があり、安心と繋がりが可視化しやすい気がする(もちろん好きな人とのってことで)ここまで来たから分かり合えたであろう、みたいなステージを設けやすい存在だ異性って。ときめきも分かりやすく、そのわかりやすいは良いことだけど時にとても寂しくもある。物理的に触れる安心感はその逆も起こりやすいから。

 

だけど女の人はそうじゃなくって、どこまでいってもよくわからない。可視化できない安心や理解をお互い得られたとき「あ、この人は絶対だな」ってなんだか自分のなかで強く思ってしまう。

私がそんな風に思える女性なんて片手ほども居なくって(単純に人づきあいが下手)だからずっとずっともっと愛情を注ぐぞ~と思う。彼女たちには常に春風のようにすごしてほしい。軽やかに朗らかに。

 

 

 

outside yourself

私はこの30年何をしてきたのかなあ。

誰だって完璧に生きられるわけないし、見えないだけであの人もこの人もずっと抱えている悩みがあるんだろうけど、それでも私の存在が悪だという事実は情けないくらいにどうしようもできない。自分の行動が誰かを傷つけているのかと改めて思うといたたまれなくなる。結局逃げているしそこを突かれたらなんの正しさも出せずおろおろした姿を露呈するだけだ。

他人からの承認欲求ばかりを埋めようとして私は大切なものごとをどんどん失う。何も変わっていない。変わろうとした数年前から何も。

冷静な脳がほしい。しっかりしろ。

 まとまらない思考があふれると昔からこういったところにはき出してしまう傾向にある。なるほど3月の投稿が多すぎるわけ。機械の文字として記録するとまるで私ではない誰かの頭をみている気分になれる。だからといいって何も解決しないわけだが。

そして長風呂と鬱気分は比例している。

 

もっとロボットのように割り切れたらいいのにな。時間とお金で割り切れることができたら感情なんて置いていけるのに。それは同時に私と私に関わる全ての人をぶん殴ってしまうことになるのだけれど。

自分が口にする「だから」で結ばれるその先の理不尽さに一番理解できていない私の捨て場を探している。

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