Merry-go-round

振り向けば当然のごとく自分が成して来た物が形となりそこに残るとばかり思っていた。
今振り向いてもなんの形も影どころさえない。
真実は良いことばかりではない。

毎日毎日ほうれい線のストレッチばっかしてんじゃないよ。

正しさを突き詰めると幸せになるとは限らないけど、突き詰めるほどの意志があることはきっと幸せだとは思う。

 

大学生みたいな遊びをし、ヘラヘラ笑って過ごしたけど私は誰かと一緒には生活出来ないという塊がずっと頭の片隅に残っていて、
ああこの人が描く未来通りに私は進めないんだなと申し訳なさと自分の不甲斐なさがグリグリと腹をえぐる。おえ。

 

こういうところが問題で、こうしたらうまく進める気がして、だけどアレが課題だと思うんです。
心理の担当の先生には事細かにそれを話すことが出来、自分のダメなところが山ほどあげられるのに一言「それを(私)さんは許せますか?」に息が詰まった。答えられなかった。
答えられないままずーっと来ている。

 

解決できる、出来ないがメインである気がしてそれを許すとかそんなこと考えてもみなかった。


考えてもみなかったし、考えたところで今「許されるものでは無いだろう」という答えしかない。本来なら許してほしい。だけどそれは甘えに捉えられてしまうのではないか。

そもそも誰に許してほしいのか、先生が聞いてきたのは「あなた(私)は許せますか」という問いだった。


私の中で許されると思っている世間の基準まで進めば、きっと自分でも「これで許される」と納得出来る気がする。
だけど自分が苦痛で仕方ないから避けてきた道を、無理矢理歩いて基準まで行けたとして果たして私は生きているのだろうか。

 

私が抱える「許す」ってもっと開門のごとくその後と前じゃガラリと変わる物だとばかり思っていたけど、実は僅かな隙間からジワジワと染み出て、気がついたら容器いっぱいに溜まっていた…というのがごく自然な解決のかもしれない。

 

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