世界を変えることはできない。生活の中で関わるほんと数人しか大切にできない。

冷めた目で見ることが1番ダメだと言われているけど、右も左も関係なく熱くなってる人たちが本当に無理で、長年かけて腐ってきたここに住んだしまっているのだから、もう自分の周りだけ楽しく暮らしていくことに集中したい。それが社会的にダメで、人間として未熟と言われても、何か意見して過ごさなければというプレッシャーからはなるべく離れていたい。何も聞きたくないしバカなままでいい。始まりの終わりを感じている新年。

長くてあと60年生きるとして、たった60年。6億年ではない。体にチップを埋め込んで脳内で再生される焼肉の映像を見ながら訳もか分からないモノを咀嚼する、そんな時代が来る前に死ねるから良かったー!みたいなことを有吉が言っていたけど本当にそう。

為すすべはない。活動を拒絶するというのは穏やかに破滅へ進んでいくということ。それでも良いと思っている。私は生きながら死んでいく。

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クリスマスに書いたもの

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クリスマスに何かやらなきゃいけないって決まりは無いのだけど、だからってクリスマスにはしゃぐヤツだせぇ!とか言ってしまう人には興醒めなので、クリスマスを楽しむ人たちにはみんなみんなクリスマスおめでとうって伝えたい。

 

ぴんもやと遊ぶ時に定期的に出てくる「森ガールみたいなヤツが一番性格悪い。あいつら大人しそうな顔してめちゃくちゃ性欲が強い」というセリフに絶対笑ってしまうのだけど、なんとなくわかってしまう私も辛い。

あ、もしかしたらこの人と付き合うのかもしれないな…と思った時に突然現れる女の人が大体そういうタイプだった。そういうタイプってのは無印をマストアイテムとしアースカラーを好んでロングスカートや太めのデニムを履きトートバッグばかり持ち髪色は暗めで身長は低く…これ以上はすごい偏見を曝け出してしまうのでやめた。

とにかく突然現れるのだった。と言っても過去3人だったけど。でもそんな存在の人はその3人しか現れなかったしその3人が似ているってことは少なくとも何かしら共通点があるんじゃないかって疑ってしまう(ごめんよ)

 

彼女たちはどうにかして私のSNSを知り連絡を取ってくる。最初は仲良くなりましょうスタンスで。でも蓋を開ければ「私の元カレと仲良くしないで!!」「私の好きな人を取らないで!!」というものでギョッとしたあと、またかーー、こういうタイプかー…と冷静になったりした。注目したいのはみんな現時点で付き合っているわけではなく過去付き合っていた、とか好意を持っているけど彼女じゃない、というところ。

そして少なくとも私よりは面識があるであろう当の男性に対して何か言うのではなく、初見である私に対して言ってくるところ。

 

なんだか圧倒されてしまった、毎回。会ったことも無い女の人に喧嘩売るその原動力が現在付き合ってるわけでもない人への好意って…ものすごく重たいパワーをひしひしと感じた。それが分かった瞬間「うわ!関わりたくない!男にも女にも」と思い華麗なるフェードアウトを決める(無視)

そこでもう少し粘ったら解決したかもしれないし男性とすんなり付き合えたかもしれないけど、兎にも角にも私は面倒な人間関係を続けるくらいなら死んだ方がマシ!と思うってしまうので光の速さで気持ちが乾いてしまうのだった。

その知らない女性も怖かったけど、そんな風になってしまう扱いをしていた男性に対しても「(好意を扱うのが)下手だな〜」と「色々可哀想だな〜」の気持ちがあり混ざってしまい好きとかどうこう言えないようになる。そして無視し続けて終わる。

 

人間、攻略がめんどくさい相手に対しては諦めも早いというもので、そのめんどくさいを生み出すために色んな手を使っているのであれば彼女たちは賢いんだろうなと思う。私もそうあるべきなのかなあ〜とつい最近思ったけど2秒でイヤそれは違うなと我に返った。

 

どういう形がその人たちにとっての愛情かなんて他人がどうこう言う必要は無く、う…私とは違ったな(重い無理ゲロロロロ)と感じてもそれはその人の愛であるからそっちで自由にしてくれ〜バイバイ〜、で良い。押し付けないでも自分を大切にする恋愛とはどういうものなのだろうか…

 

クリスマスが恋人達のものであるという色が強いので勝負感溢れる23.24日の街の雰囲気は見ていて楽しい。

みんな!愛の形は自由だけど重さで相手を潰すなよ!というお気持ちだけ心で唱えて私は働く。

 

 

 

 

 

 

 

 

it girl beauty

久しぶりにアヤバンビの動画を見て、いつ見てもしびれるかっこよさだな…とテンションが上がり私も出来る気がする!と無謀な動きをして壁に手首を強打し悶える31歳女を見守る猫2匹。

私にそっくりな姿形をした人がいたらアヤやってよ、私バンビやるからって誘おうと思った事が何度かあるけどまず私はそうやって声をかける相手がいない(現実)いつでもできるように一人バンビは練習しておこう。調べていたらバンビちゃんは今は仲万美として活動しているようだった。アヤバンビの頃とは全然違うテイストで別れてしまったアヤさん(1年前の動画以降何にも更新してなくて、その最後の動画も痛々しい程痩せてた)の事を知ると赤の他人のクセに複雑な心境になったけど、それでも彼女たちのダンスは鳥肌が立つほどかっこいいからいつまでもどんな形でも見続けたいなあ。

 

アーティストの私生活や思想と生み出される作品は全く別と捉えなきゃ何にも好きになれない!と私は思っているので出来ればそういう情報は見たくない。ずっと好きだったスチャダラパーソウルフラワーユニオンがどんどん熱い思想ぶちまけおじさんになっていく課程を見ると「これからも楽曲は好きだけど押しつけ正義ダダ漏れオナニーライブには行きたくないな」と思った。40過ぎると金を持った暇なおじさんは公の場で説教をしたがるって話になって笑ってしまった。

私以外の誰かの心なんて分かったつもりでいても、本当は10パーセントも分からない。生み出される物に付いてくる思想を全部自分の期待の型に押し込んではいけない。私なんて自分のことすら半分も分からないのに。

 

外の空気がスーンとしている。夜は静かで空が綺麗。きたきた私の大好きな冬だ。一年の中でクリスマス終わり~大晦日までが一番好き。うにうに考えていても日々は確実に過ぎるので、世のなかの全て「私 と その他」で切り分けれるようになりたいなあ。

議論深まった。あー議論深まってよかった。議論深まってよかったわー。

自分の意見を主張しなければ、劣っていると判断されるような空気を感じることが多々あって、どこでも意見交換をする、日常的に政治経済の話題をする…それが出来なければちょっとね…というのが増えた気がする。やめてほしい。

どうでもいい、どっちだっていい、考えたくない、という発言は下に見られてしまうのではとおびえている自分もいる。正直言うと政治経済に関して「どれもこれも同じに思えるし左派もリベラルも共感できる部分とそうじゃないところがあるからあまりその話題はしたくない」というのが本音。選挙なんて糞尿まみれのゴミの中からできるだけクソが付いていないゴミを選ぶという感覚があるので「これが最高」というより「仕方なくこれで」と思っている。

どんな思想でも本人らしくあることが大事だと思うので、そこの違いで人付き合いに線引きはしたくない。けどいつもその話題ばかり出るのはしんどい。

次の休みはなにしよう、とか、睡眠はサイコー、みたいな事しか話したくない日が8割の私はどうしたらいいのか分からなくて困惑する。その意見に反対でも賛成でも無く、でも「○○しね」という言い方は嫌じゃん。許せない事があって例え頭の中でそう思ったとしても人と話す時に馬鹿だの死ねだの言いたくない。白熱しすぎて止まらない人をどうしたらいいんだろうと遠くから眺める事が最近増えた。

いつだったか県のプロモーション動画がツイッターの広告ツイートで流れて来て、リプライの数が結構あるので見てみたら殆どが政治的な事ばかりで怖くなった。どういう考えかは自由だし私がどう思うとかではなく、”ただただ観光誘致目的の県のPR動画“にそういうの書くの怖すぎる…と震えたことがある。

どんな場面でもSNSで矢継ぎ早に叩ける場所を見つけたらガンガン激突している人たちを見かけたら「ああ、もうおしまいだ。」と絶望する。そこで私がどんな考え方でこの先どうして行こうとかいう前向きなものには全然昇華できなくて「いろんな出来事を調べても調べてもなにが正しいのか分からなくなっていく。なんっっにも知らずにさっさと死ぬのが一番良い。」という考えに至る。

うまく生きていける気がしない。すべてを忘れて転がる日々を送りたい。

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9月がもうすぐ終わる…という書き出しで下書きをしたままの内容が保存されていた。あっという間に終わって10月も1/3過ぎた。

大好きな冬がやってくる。嬉しいけれど時間の流れについて行けなくて戸惑う。時々このまま毎年が秒で過ぎ去り死んで行くのか…と思うとさっさと寿命全うして元気なうちに死にたいなという考えがよぎる。将来とかこの先の話なんて考えられなくて今を生きることに必死な私にとって数年先を描くことは苦痛以外の何でもない。

何からどう動いていいのか自分の事なのに分からなくてそれが最善じゃ無い事は分かっていても「諦め」を選ぶしかない状態というのが増えた。こうやって狭くなってきた道を必死で進むより早く断ち切った方が良いのではないか。としか思えないのは何故なのか。

 

私は私で大丈夫だと思いたい。その一心でずっと生きているのにどんどんそう思えなくなってきてただ何もしてない時間だけが毎年加速して過ぎて行く。何も考えたく無いし今この瞬間にトラックが激突して全て終わらないかなと思うという話をしながら泣きもしなかったのはこれはもうどうしようもないと分かっているからだ。

家族を悲しませたく無いな、だけが柱になっているので私は私で大丈夫という柱が欲しい。怖い夢ばかり見て起きても何にもならない現実を過ごしているとどっちが夢でどっちが今の生活か分からなくなる。客観視するために付けているこの文も見返すとずーっと同じことが書いてあって私の根本は変わらずなんだなあと立ち止まっている。

 

みんなどうやってこの壁や重りをコントロールしているのだろう。信仰心は無いのに明日の私が楽しくありますようにと祈るしか出来ない。

画像は似ていると言われたもので、顔は一切見えないのに笑えるくらい私感が出ている(首や背中や顎の線)

自分を静止画で切り取った状態で眺められるようになりたい。しなやかで余裕のある心はいつになったら手に入るのかなあ。めそめそしたまま大好きな冬を過ごしたく無いなあ…。

 

 

みんなが元気でいてくれたらそれだけで幸せってこと、忘れずにいたい

カウンセリングの先生の目頭にキラキラのラインが入っていて、素敵だな…素敵だって伝えよう!と思っていたのに言えなかった。言おう言おうと思っていることもすぐ忘れてしまって相手が目の前にいない時に思い出す。

良い映画を観た後は幸せな気分とその100倍もの「もう生きたくないな」が襲って来てぐしゃぐしゃになってしまった。普通に生活している。生活しているけど1ミリ皮をめくったら「生きられないどうしたって」という気持ちがスレスレのところで張っている。死にたいわけではない。痛いの嫌だし。

だけど生きることも難しい。感情は複雑だ。

来週、来月、来年と楽しい予定を入れているはずなのに「果たして私は本当に楽しいのか。ただその日まで生き延びる為の経過ポイントとして予定を入れているだけなのでは」という面倒くさい感情が常に付きまとっている。それ最高だ!と笑ったそばから早く何もかも終わりにならないかなという虚無が追いかけてくる。

 

死にたいと思ったことあるよ…といつだったか姉に話したらめちゃくちゃ怒られた。そんなこと二度と言ってはいけないと。死にたいじゃなくてどう生きていいのか分からないって言いたかったんだな。本当は。家族みんな大好きだから悲しませたくはないけれど私がどう生きていいか分からないなんて言ったら、それはそれで悲しませてしまうかな。

 

夜が明ければまたフラットな気分が瞬間だけど戻ってくる。そこまで耐えるのだ、夜を越えなければ。そういえば今年の七夕は何も願いをかけなかったな。随分過ぎてしまったけどまっすぐ立てますように。七夕過ぎてもみんなの願いが叶いますように。

 

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うれしい悲鳴をあげてくれ

姪っ子と一緒だからという理由で観た大して興味も無かった映画が、思いのほか楽しくって後から調べてみたらプロデュースにいしわたり淳治がいて「えーこんなところに」と驚いた。よく考えたらじゅんじだけ抜きん出て大成功か…とスーパーカー大好き人間の私は青森に1人帰ってしまったコーダイについてジッと考えてしまう。

ただのファンだった私が考えなくったって他人の幸せなんてその本人にしか分からない。そこに救えなかった自分の姿を投影しているだけだ。

 

シロサイがまた密猟されたという話題と友人が現在パイパンであるという話が同時進行に入ってきて脳が溶けた。友人は「相手の喜びようがみんな共通している」という自己統計までとっていて笑ったけど、股に毛があるかないかだけでなんであんなに人間は喜んだりするのか。同じ時刻にシロサイは絶滅への道を進んでいて、それを同時系列で考えるのはあまりにもかけ離れているけど現世界上で本当に起こっていること。変な話。あ、希少なものほど価値があると思ってしまう心理は一緒なのか・・・(馬鹿)

 

人間は人間によって絶滅するのかもしれないなと考えながら、確実にスタートしている終わりに向かってなぜ進まなければいけないのかと頭をひねってみたけど何も分からなかった。幸せを集めて今を過ごすことに精一杯だ、いつも。

みんな当たり前のように「明日も生きているしいつもと変わらない」と思ってしまう。打破しなきゃいけないわけどもないけど、同時にその「いつも」が続くという保証はどこにもない。

みんな自分の場所で生きてる。その生に貴賎はないけれど、でも、どうしてもそこに違いは生まれてしまう。その違いを私たちはどう受け止めたらいいんだろう?

脳内の右端から左端までものすごい勢いでくだらないことから死にたくなる感情まで流れていくのでそろそろ限界だと思う。今月も仕事で病院に行けないかもしれないからなんとか心を保たなければ。

 

明日が今日になる瞬間を祈るように迎える。

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