自分を大切にするってつまりはどういうことなんだろうと未だに考えてしまう32歳

そんな冷たい女だったの?

今年下半期言われた台詞で一番悲しかった言葉だ。なにを以てそれを言ってるのかの理由も納得いかなかったし、そういうところで「女」とか使う神経も不快だった。自分の納得がいかないからって相手を貶して言うとおりにさせたいんだなって気持ちが見えて一気に恐くなった。わかり合えない人とは何を話してもずっと遠くにいる気分になる。目の前で話しているはずなのにこっちの言葉が通じなくて「やめて」と言っているのにグサグサ刺してくる。でも私のやめては通じなくて相手はむしろコミュニケーションが取れてると思ってますます刺してくる。

年が代わる前に嫌な気持ちを全部置いていきたいけど、年が代わったところで私の生活は続くわけだし「キリ良く」とか「納める」とかただの気持ちの問題だよなって思う。大掃除とか○○はじめとかも。ただ、来年も私が続くのかと思うととてもとても辛い。さっさと幕を閉じたいのだけどこの「辛い」の理由が複雑なのか靄がかかって見えないのか当の本人も分からないのでどうしようも出来ないよねって。

楽しいことをしていてもかわいいお化粧品を買っても美味しいものを食べても心の中にずっと悲しいと辛いが存在していて何をしても消えないんだもの、自分を終わらせるしかそのつらさと決別出来無いじゃんって思う。大人になったのに何も変わらない。

カウンセリング受けてるのに意味ないじゃん、とか、そんな自分が嫌だと思うなら変わらなきゃ、て言われたのも悲しかった。1人でわんわん泣いた。楽しいをもっと増やさないと悲しいにいつか潰されてしまうのかなあ。こわいなあ。

総括はしない。したらそこで終わっちゃう気がするから。はやく苦しみが取れないかなあ、その時にようやく総括できると思う。

 

二万年生きるわけじゃなし

出来ない事が多い。出来ない事というかうまく考えられないこと。馴染めないことやその場で立ち止まってしまうこと。

人に話すと「そのうち慣れる」「年を取れば気にしなくなる」「考えすぎ」「直に考えも変わる」など言われる。きっとみんな優しさでそう言ってくれてる。それは十分分かるけどとてつもなく苦しくなる事がある。なんで変わること前提で話してるんだろうって。今のままの私じゃダメなんだろうか。人が出来ることが出来ないのはわがままなのか怠惰なのか、誰かに言われた訳じゃ無いけどズーンとそのことばかりを考えてしまう。

人の人生はその人のモノだ。誰にも邪魔できない邪魔しちゃいけない思考と選択だ。私は誰かの邪魔をしているのだろうか。誰かの期待に応えられなくて悲しいのだろうか…。全てがよくわからなくて漠然と悲しみだけ襲ってくる日がある。

死にたいとかそういうんじゃないけど早く全てを終わらせたいなと思ったり、何も考えずにサクッと消えたいなと思う。全てを放棄したい。したいけど出来ない。出来ないのはまだ自分の輪郭に楽しさと喜びを期待しているからだ。わずかな悲しみを膨大に捉えてしまう癖や思考を取っ払いたいな。今のままで楽しめる選択をしたいな。

冬が来た。大好きな大好きな冬!少しでも私の生活が穏やかでありますように。大切なみんなの生活も。

is over

執着とは何か。愛情が固執に変わるものなのか。精神と肉体の性欲は別物かもしれない。

艶やかさは欲しいけど一過性の性欲はさっさと死滅してほしい。愛情だけでセックスが存在してほしい。

 

1ヶ月前からお腹の具合が本当に悪くてはだしのゲンに出てくる初期でゲンをおんぶしてくれた兵隊さんみたいになってる(お腹が)

週明けに病院行く予定だけど仕事が忙しくてもうどうでもいいわ、みたいな半ばヤケクソ。

 

やっとこ完成した書類。今の時期は仕事の密度が500パーセントで、やってもやっても終わらず本当に疲弊している。大げさではなく机にかじりついて仕事した。クソクソのクソ。

淡々と業務をこなしていきたいけど、そこに関わる全ての人の気持ちを考えてしまって私が楽をしたらどこかで誰かが犠牲を払ってしまうと思って気が抜けない。

 

答えが見えなくても良いので、会話を繰り返す、言葉を重ねていくことの大切さを改めて感じている。仕事はもちろんだけどプライベートは尚更。相手はこう思っているだろう、で進めるといずれボタンの掛け違いが取り返しのつかないこととなるよなあと。意思を伝えることはとてもエネルギーがいるから全ての人に全力で取り掛かるのは無理なんだけど、いくつもいくつも会話した上で成り立つ関係性みたいなものにすごく信頼を置いているから大切にしたい。それが直接でもメールなどの媒体を使ったとしても。

 

何かの何か

誰かから好意を持たれるということは素直に嬉しい。その好意をどうするかは別として単純に気分が上がる。私という生き物を好いてくれるなんてまあ!と嬉しくなる。

 

撮影の同行で取引先の社長と半日一緒だった。セット→撮影→解体 を何十組と繰り返し淡々と作業しつつ口だけはその人と会話をしていたので、作業リズムに合わせて話を深めてしまい少し後悔している。

何かあったら連絡してください。と渡されたそのメモ。何かの何って何…。とぐるぐる考えながらつい「何かって…」とつぶやいてしまった。相手は「いや、何もなくても気軽に、普通に。声かけてもらったらいつでも迎えに行くんで。」とケラケラ笑ってた。

「何かの何」を無視して日常を過ごしている私はズルいのかもしれないけど「何か」じゃわからないもんね、と言い訳をして明日もきっとそのままだ。

 

誰かから好意を持たれるということは素直に嬉しい。その好意をどうするかは別として単純に気分が上がる。だけどそれを利用してはダメだ。好意を消費するなんて相手も私も傷つく。それでもグッと落ち込んだ部分を救ってもらえた事実に対しては感謝を込めて丁寧に扱えたらいいな。

 

地上に存在していることはそれ自体が祝福であるのか

祈りが通じたのか、perfumeのツアーに行けることとなった。わーい。お願いしてみるもんだ。来年の話だけどそれでも生きる希望になるよなあ。サブスクも解禁になったし、そろそろcapsuleのsugarless girlもお願いしたい。

一緒に行く友人は磨きのかかったperfumeファンなので、二人でどの時の衣装が好きか話しているうちに作るか!?という展開になった。裁縫苦手な二人で出来るのか不明だけど時間はあるし挑戦してもいいかもな(ボビンってなんだっけレベルだけど)

男性用に衣装をアレンジするならどうしたらいいのかな~とデザイナーぶったりしつつ、彼はperfumeデザインのヒールを購入するくらいなのでワンピースのまま着てくれるかもな、とも思っている。ふむ、男性も似合うようなスカートがあればいいなあ。

 

甥っ子が通う学童保育に他学校の高学年生でいつもスカートを履いている男の子がいるらしく、純粋に疑問として「どうしてスカート履いてるの?」と聞いたらしい。そしたらその子は「(甥っ子)くんも履いてみたらいいよ。さらっとして涼しくて、とっても気持ちが良いよ」と穏やかに答えたらしい。理由ってそういう事でいいんだよね、と改めて感じた。自分の好きなものや事に関して誰かに正しい説明なんかしなくて良い。いつから後ろめたさを感じるようになったんだっけ。

 

HSPの性質について「音楽や芸術作品がダイレクトに自分に入って興奮が止まらない感覚がある」みたいな説明をされて、あ〜!長年私が感じてた音楽は宗教だと思えるほど震える症状はこれかと腑に落ちた。毎年のタイコクラブやシガーロスでのライブで沸き立つ感覚を同じスケールで浴びてる人がいると分かっただけでも嬉しい。みんな同じ性質とは言えないけど5人に1人の確率でHSPのタイプが存在するなら20%はあの痺れるような、空間と溶けて一体になるような感覚を分かってくれるのかもしれないと…その確率だけでもわくわくする。

 

いつか脳内をパカっと開けて可視化できるようになったら、きっと私の脳はものすごい色とごちゃごちゃと感情で溢れているだろう。

うまく言い表せなくてもそこに存在するという気持ちはたくさんあるな。表現することこそ素晴らしいと思っていたけど、ただただ最大級に受け取れることもきっと才能の1つだ。

うすうす感じていることの方が多いってこと

なんとなく抱いていた自分の世間に対する感受の強さ、というのを先日病院で「HSP」の性質だねと言われた。以前も言われたようだけど私は全く覚えて無く(先生ごめん)今回は丁寧に説明をしてもらった。診断をしていく上でまあこれは私をモデルに研究したのかしら?というぐらい私のモヤモヤについて指されていた。

HSPは病気ではなくその人の特徴、性格のようなものである

・うまく生かせば長所になる

という話までしたところで不安が増すより安心した。自分の取り扱いがわかりやすくなった事で気持ちも楽になった。それから図書館でHSPの本を借りて読んでいるところ。理解してほしい相手にはこの文を伝えたらいいなあとメモを取りつつ。診断されたことで安心できたところもあるけど、ラベリングして終わりではなく、当たり前だけど人それぞれで捉え方や表現方法は違うという点を、いつも頭に入れておきたいな。

 

欲しい欲しいと思っていたGoproを先月買った。使い方はまだ慣れないけど予備バッテリーとサンディスクのSDと装備品も揃えた。便利な世の中でなんでも調べれば使い方が出てくる。とりあえず今週末のお出かけに持っていく予定。楽しい記憶は記録にしておきたいな、大好きな人と出かける時は特に。写真ってプロとか関係なく撮る側と撮られる側の関係性が如実に表れると思う。私が撮った写真はどれも相手に対する愛してる~!最高!大好き~!で溢れているから笑ってしまう。私自身は撮られる事に抵抗は無いけど変なポーズばかりになるのでまともな物がほとんど無いという現状。それもまた思い出で良いよね。

 

どこか遠くに行きたいなあって言ったら「海外行くじゃん」て笑われて確かにと黙り込んでしまった。私が言う遠くっていうのはどこなのだろうか。友人が心底苦しそうな時にも遠くに行きたいって言ってて、あ~こういう気持ちだよねって一人納得している。私の大好きな場所、瀬戸内海の豊島に行こうよってこの前声をかけた。ほとんど一人でしか行ったことないけど、それは観光がしたいわけじゃなく自分の置かれた現状や苦しさなんかをそっと海に置いて過ごせるからだ。でも大好きな人とは一緒に行きたくなる。そういう気持ちをこの人なら一緒に理解できるだろうなと思えるから。本当はどこにも行きたくないよね。ここに、今ここに私が存在するんだぞ!て明るく堂々とできればそれが一番で…だけどそれってなかなか難しいんだもんなあ。

 

あ~!めちゃくちゃPerfumeのライブに行きたいぞ!最高にかっこいい3人を見て帰りの駅まで踊りながら進むやつやりたい。そういう奮い立たせる何かと、沈黙を楽しめる何かを常に装備して過ごしたいな。ものすごく沢山のひとが生活して交差し関わり合う日々でストレスも想像以上であるし、みんな!各々かわいく生きてください!と祈るよ。己の機嫌は己でとる世界であってほしいから、山ほど自分を可愛がって生きて欲しいな。

死んでるにきまっているのだ

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嫌なことが多すぎて毎晩落ち込んでは翌朝「なんとかやるしかない…」と立ち上がる日々。もさもさに伸びた髪が不快でたまらなかったので切ったついでにピンクのインナーカラーを入れた。すごく綺麗な色で大満足なのにやっぱり気持ちは落ち込んだままで、どこにも寄らずに家に帰って横になった。サラサラツヤツヤで顎のラインに切り揃えられた髪なのにくしゃっと枕に押し付けられてかわいそうだ。

 

考え過ぎじゃない?もっとテキトーに生きたら?て言われて、それが出来ないから苦しんだよ。とは言えずモヤモヤが募るばかりなので人には言わない事にした。

私もきっとどこかでそうだろうけど、自分が経験したことを一般として捉えてしまうから他人にもそのカタチを押し付けてしまう事の怖さよ。

女って◯◯、男って◯◯、言ってる人を見ると警戒してしまう。あなたの周りの人がそうであるだけでそれって数にしたら何人?一括りにするもんじゃないよ…って悲しくなっちゃうわ。私もそうしないように気をつけなきゃな。

 

いつの物なのか分からないけど、バカボンパパが傷だらけの人生を歌ってる映像が大好きで「やるぞ、やるぞ」のシーンを真似してはふふふとなる。歌詞は重いしなんで鶴田浩二の歌なんだろうって疑問に思うけど「生まれた土地は荒れ放題」で笑っちゃうな。もうどこにもあの映像は無いのかなあ。

 

とびっきり良い事が今年中に起きなきゃ私のこの苦しさ、何なのよ!と大暴れするぞ…と歯を食いしばっているところ。ぐぬぬ。9月が来たらもう年末!ちょっと!早くないですか。