うれしい悲鳴をあげてくれ

姪っ子と一緒だからという理由で観た大して興味も無かった映画が、思いのほか楽しくって後から調べてみたらプロデュースにいしわたり淳治がいて「えーこんなところに」と驚いた。よく考えたらじゅんじだけ抜きん出て大成功か…とスーパーカー大好き人間の私は青森に1人帰ってしまったコーダイについてジッと考えてしまう。

ただのファンだった私が考えなくったって他人の幸せなんてその本人にしか分からない。そこに救えなかった自分の姿を投影しているだけだ。

 

シロサイがまた密猟されたという話題と友人が現在パイパンであるという話が同時進行に入ってきて脳が溶けた。友人は「相手の喜びようがみんな共通している」という自己統計までとっていて笑ったけど、股に毛があるかないかだけでなんであんなに人間は喜んだりするのか。同じ時刻にシロサイは絶滅への道を進んでいて、それを同時系列で考えるのはあまりにもかけ離れているけど現世界上で本当に起こっていること。変な話。あ、希少なものほど価値があると思ってしまう心理は一緒なのか・・・(馬鹿)

 

人間は人間によって絶滅するのかもしれないなと考えながら、確実にスタートしている終わりに向かってなぜ進まなければいけないのかと頭をひねってみたけど何も分からなかった。幸せを集めて今を過ごすことに精一杯だ、いつも。

みんな当たり前のように「明日も生きているしいつもと変わらない」と思ってしまう。打破しなきゃいけないわけどもないけど、同時にその「いつも」が続くという保証はどこにもない。

みんな自分の場所で生きてる。その生に貴賎はないけれど、でも、どうしてもそこに違いは生まれてしまう。その違いを私たちはどう受け止めたらいいんだろう?

脳内の右端から左端までものすごい勢いでくだらないことから死にたくなる感情まで流れていくのでそろそろ限界だと思う。今月も仕事で病院に行けないかもしれないからなんとか心を保たなければ。

 

明日が今日になる瞬間を祈るように迎える。

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